消えた核科学者

刑事はいった。「北に持って行かれたな」(2)

2020年04月08日11時30分 渡辺周

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勝田署は現在、ひたちなか署となっている=2020年4月4日午前9時10分、茨城県ひたちなか市東石川

茨城県東海村の動燃(現・日本原子力研究開発機構)の核科学者、竹村達也が失踪したのは1972年3月のことだ。

当時、竹村は動燃のプルトニウム製造係長で、独身寮の駐車場には愛車のカローラが残されていた。

このころ、世界は冷戦真っ只中だった。東西両陣営は核兵器の開発にしのぎを削っており、米国はネバダ核実験場で地下核実験を頻繁に繰り返していた。

私に失踪事件のことを打ち明けた科学者は動燃時代、竹村の部下だった。竹村のかつての部下や同僚たちは、竹村の失踪をずっと気にかけてきたといい、北朝鮮による拉致を疑っていた。

竹村が失踪してほどなく、東海村にある動燃の研究所に、茨城県警勝田署(現在・ひたちなか署)の刑事が訪ねてきた。

その科学者は、動燃の管理部門から「刑事さんが話を聞きたいといっている」と呼ばれた。彼はプルトニウム燃料部で、竹村の部下として働いていたことがある。同じ独身寮にも住んでいた。研究所と道路を挟んで向かい側にある建物で「箕輪寮」という名だった。彼のほかにも竹村と関係がありそうな職員が呼ばれていた。

彼はプルトニウム燃料部の会議室に行った。

部屋には中年の男性刑事がいた。

「竹村さんが突然いなくなって、大阪の実家のお姉さんたちが捜している。何か知らないか」

竹村は大阪育ちだ。大阪での人間関係の中で何かあったのなら別だが、少なくとも彼の知る限りでは、竹村が失踪する理由は思い浮かばない。

お金を派手に使う様子はなかった。「畳の下に現金をため込んでるんじゃないか」と噂をしていたくらいだ。借金はしてないだろう。独身寮の住人はよく麻雀をしたが、それにも加わらない。竹村は独身だが、女性に関する話も全くなかった。

竹村の周囲にいた人間には、竹村は真面目で仕事一筋に見えた。刑事の参考になる話はない。聞き取りはすぐに終わった。

彼は刑事に「何があったんですか」と聞いてみた。すると刑事はいった。

「北に持っていかれたかもしれない」

「北?」。彼には聞き慣れない言葉だった。

(敬称略)

=つづく

*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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