消えた核科学者

政府答弁の16年前に(3)

2020年04月09日11時34分 渡辺周

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JR東海駅前にある案内図=2020年3月29日午後0時25分、茨城県東海村舟石川駅東1丁目

旧動燃の核科学者失踪事件で、茨城県警の刑事が「北に持っていかれたな」といった──。

私は、取材相手の科学者が覚えていたその言葉に驚いた。彼は、失踪した旧動燃の元プルトニウム製造係長、竹村達也の部下だった。

その科学者は私にこういった。

「当時は北朝鮮による拉致事件があるなんて、全く知られてない時代だよ。『北』ってなんのことだろうって気になったので、刑事さんの言葉は明確に覚えてるんだ」

竹村が失踪したのは1972年の3月。北朝鮮による拉致の問題が、国内で騒がれるようになる前のことだった。

メディアに「拉致」が登場するのは、竹村が失踪して8年後の1980年1月のこと。

サンケイ新聞が福井、新潟、鹿児島で男女のカップルが拉致された可能性があるとスクープした。「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」という見出しだった。その中には、2002年に北朝鮮からの帰国を果たす蓮池薫さんと祐木子さんらの事件も含まれている。

だがこの報道の2ヶ月後の国会で、政府は北朝鮮による拉致には言及しなかった。警察庁刑事局長の中平和水は次のように答弁している。

「確かに大変同じ時期にそうした若い男女が約40日ぐらいの間にいなくなっておりますから、そういう点については確かに御不審をお持ちの向きもあろうかと思いますが、私ども純粋の捜査の立場で申し上げますと、いまのところ客観的な関連性というものは出てまいってない」

政府が北朝鮮による拉致を明確に認めたのは、それから8年後。1988年3月の国会だ。国家公安委員長だった梶山静六はこう答弁した。

「昭和53年(1978年)以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えております」

茨城県警の刑事が「北に持っていかれたな」といったのは1972年だ。政府が「北朝鮮による拉致」を持ち出す16年前に、警察は拉致を疑っていたことになる。

警察は、本当に1972年の時点で拉致を疑っていたのだろうか。プルトニウム製造に関わる核科学者が拉致されたということになれば、それは国の一大事だ。

私は、ある重大な事実を発見する。

(敬称略)

=つづく

*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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