もし、あなたの大切な人が、効果を期待できない危険な治療で亡くなり、それが医療事故ではなく単なる「病死」として処理されていたとしたら、どうしますか?
(速報記事はこちらから)
東京大学病院循環器内科(小室一成教授)で、2018年10月7日、41歳の男性が亡くなった。
男性は心臓に病気を抱えており、死亡する半月前の9月21日、心臓にカテーテルを入れて弁をクリップで挟むという最先端治療を受けた。治療は途中で中止され、その後、容体が急速に悪化したのだ。
しかし東大病院は男性の死因を「病死」として処理した。厚生労働大臣が指定した第三者機関の医療事故調査・支援センター(医療事故調)に届け出なかった。東大病院の内部で処理した。
ところが、ワセダクロニクルが入手した男性のカルテには、医療事故をうかがわせる記述が書き残されていた。
保険適用間もない最先端治療
実施された最先端治療というのは「マイトラクリップ」(Mitra Clip)という治療だ。脚の血管から入れたカテーテルの先端を心臓内の僧帽弁まで進め、この弁の先端を特殊なクリップで挟んで形を整える。それによって心臓内の血液の逆流を軽減し、心不全を改善させる。2018年4月に日本での保険適用が始まったばかりの新しい心臓治療だ。
私たちがこの男性の死に不審を抱くようになったのは、男性のカルテを入手したことがきっかけだった。
担当医名は循環器内科の金子英弘医師。
カルテの「気胸」という文字に引っかかった。気胸とは、肺に穴が開いて空気が漏れ、その空気によって肺が圧迫されて潰れる状態を指す。
カルテの記述をそのまま紹介する。
「処置後の気胸、AF(不整脈)出現などにより不安定な状態であった。そのことに由来したと思われるVT(不整脈)により、さらに低心拍出状態・循環維持が不可能となり、CPA(心肺停止)にいたったと考えられる」(*1)
つまり「心臓治療の後に見つかった気胸などの影響で男性は不安定な状態となった。深刻な不整脈が頻発した。そして死に至った」という内容である。
なぜ、気胸ができたのか。それが私たちが感じた疑問点だった。
肺に穴、「明らかなミス」
カルテには気胸が治療の翌日に見つかったことが書かれている。男性の胸部を治療直後に撮影したレントゲン画像も残っている。
気胸に詳しい専門医に、レントゲン画像を見てもらった。
右肺の下に黒い部分がはっきりと見える。気胸を示す証拠だ。
医師は「治療直後の画像で気胸が確認できる。治療中に肺に穴があいた可能性が高い。明らかな医療ミス」と断言した。
無視された術前検査の数値
カルテをさらに見ていくと、次々とおかしな点が見つかった。
まず、男性はそもそも保険適用されたばかりの最先端治療「マイトラクリップ」に耐えられる心臓の状態ではなかったのだ。
心臓の機能の一部(僧帽弁の機能)を改善させるために、心臓内の壁の一部に器具で穴を開けてカテーテル先端を通し、治療する。心臓への負担が大きい。心臓が弱っていると、この治療自体を受けることができない。
男性は心臓の機能が全体的に低下していた。拡張型心筋症という難病を患っていた。
エコー(超音波)検査を受け、左心室から出ていく血液の量を調べた(*2)。血液を「押し出す力」を測るためだ。その検査結果は、ワセダクロニクルが入手した東大病院の検査結果表に記されている。
それによると、全身に送り出される血液が著しく不足していた。正常値は50%以上だが、男性は17%だった。
この数値が30%を切ると、マイトラクリップを使った治療は原則行えないことになっている(*3)。保険適用の基準が30%以上と決められているためだ。
心臓が弱り過ぎていると、機能の一部だけを良くしても治療効果を得られない上に、この治療によって心臓内の血流がますます妨げられ、かえって病状が悪化する危険性も指摘されている。
検査結果表によれば、男性は明らかに治療不適合患者だった。にもかかわらず、東大病院はこの男性の心臓治療に踏み切ったのだ。
機械より「見た目」 / 倫理委員会も治療にお墨付き
東大病院が治療にゴーサインを出した理由は、カルテから明らかになった。
男性が前の病院で行ったエコー検査の数値が記載されていた。その数値は「30%」。この数値だと、ぎりぎりで治療を行うことができる。
ところがその「30%」の数値の前に「Visual(ビジュアル)」とある。つまり「見た目で30%」ということである(*4)。
カルテから読み解けるのは次の2点だ。
・東大病院は治療直前の検査の数値が治療不適合を示していたにも関わらず、前の病院の古いデータを根拠にして治療に踏み切った
・前の病院のデータは、計測値でなく、見た目で判断した数値である
私たちはこの結果をカルテとともに循環器内科の専門医にみてもらった。専門医は「こんなことがまかり通るとは信じられない」と驚いた。
「前の病院でのエコー検査の動画を見て、見た目で30%と判断したのでしょう。それでこんな重大な治療の適否を決めるなんて、われわれの常識では絶対にあり得ません」
「前の病院でも、機器の計測数値が出ているはずです。なぜその数値を使わず、わざわざ見た目の数値を使ったのか。どうしてもこの治療をしたかったために、ビジュアル数値を使った可能性があります」
「だいたい東大病院であれば、前の病院の古いデータなど使わず、自前の検査数値を使うのが普通でしょう」
東大病院循環器内科の中でも、このようなやり方に疑問の声が上がっていたようだ。
カルテに次のように記されている。
「MitraClipを行なった場合も改善するかどうか」
「MitraClipの手技自体もリスクが高い」
判断は東大病院の倫理委員会に委ねられた。そして、この男性に対する治療は認められた。
治療は失敗した。
心臓上部の右心房と左心房の間にある心房中隔に、カテーテル先端を通す穴を開けることができず、治療箇所にクリップを到達させることすらできなかったのだ。
しかも、この治療の過程で肺に穴があき、気胸につながった可能性が高い。その後、出血を伴う血気胸も確認された。
日を追って男性の病状は悪化する。
10月7日午後2時5分。男性は死亡した。
取り上げなかった死亡症例
私たちは、担当医の金子英弘医師に会うことにした。
2018年11月22日、福岡市で、心臓のカテーテル治療などを専門とする西日本の医師の学会が開かれていた。そこに金子医師が招待されていた。
午前9時45分過ぎから、金子医師の基調講演が行われた。タイトルは「Mitra Clip(マイトラクリップ)をわが国の循環器診療にどう活かすか?」(*5)。亡くなった男性が施された治療法がテーマだった。
金子医師は留学していたドイツで、マイトラクリップ治療を学んだという(*6)。現在の肩書きは、東大の「先進循環器病学講座特任講師」だ。
青のスーツ姿の金子医師は、パワーポイントを使い、東大病院での症例をあげて講演した。取り上げた症例は50〜80代の男女5人。しかしそこに、亡くなった41歳の男性の報告はなかった。
講演が終わってから、金子医師に声をかけた。名刺を交換し、死亡した男性の治療について聞きたいと伝えた。金子医師の顔が急に曇った。「ノーコメント」を繰り返しながら会場を出て、タクシーに乗り込んだ。
貝になる東大病院
金子医師の問題だけではない。東大病院はなぜ、医療事故調査・支援センターに男性の死を届け出なかったのか。
私たちは東大病院の齊藤延人院長に質問状を出した。回答は「質問書に記載されている方が、当院で診療をお受けになったことがあるか否かを含めお答えはできません」だった。
となれば、直撃で取材するしかない。
2018年11月26日午前11時30分、東京都文京区本郷の東大医学部管理研究棟の玄関前。
白衣をまとった循環器内科の小室一成教授が現れた。小室教授は循環器内科の責任者で、治療を担当した金子医師の上司にあたる。
この日、小室教授は、来年3月に開かれる第83回日本循環器学会学術集会で使うオープニングビデオを撮影する予定だった。その学術集会は小室教授が会長を務めている。
小室教授は医局員よりも一足早く玄関前に現れ、個人撮影を行なった。カメラマンの要求に応じ、白衣を脱いだり着たりしてにこやかにポーズを取っている。
撮影の合間をぬって、小室教授に声をかけた。
笑顔が一瞬にして消えた。
「お答えできません」
小室教授はこちらの名刺を受け取ろうともせず、管理研究棟の奥に消えた。
やがて玄関前には医局員が集まり始めた。本当なら、この日正午から、玄関前で雑談する医局員たちの前に小室教授が「やあ!」と現れ、雑談の輪に加わるシーンの撮影が予定されていた。
だが、小室教授は現れず、この場での撮影会は中止となった。医局員たちは渋い表情で棟内に消えていった。
「認知症」にされた母親
遺族はどう思っているのだろうか。71歳になるという母親に連絡をとった。実際に男性に起きたことと、母親への東大病院の説明が食い違っている可能性があるので確かめたい。そう伝えた。
「手術がうまくいかなかったから残念だったねーって息子といって。そのあと2、3日大丈夫だったんですけどね、急に悪くなって。あれ、あれ、というふうに思ったんです」
東大病院のカルテに、男性の母親は「認知症」と記載されている。しかし、話ぶりからは認知症とはまったく思えない。聞くと母親はいった。
「物忘れすることはあるので『ごめんなさい、私は認知症なもので』とごまかすことはあるのでね。でも病院で認知症と診断されたことも、調べてもらったこともありません」
怒る東大病院の医師たち
ワセダクロニクルは2018年11月26日、この問題を速報した。以後、東大病院の医師たちからワセダクロニクルに、病院の対応についての情報や怒りの声が、次々に寄せられている。そのうちの1人は嘆く。
「一連の問題を隠蔽するため、病院は『病死』で処理して、医療事故調への届け出もしなかった。こんなことをしていては、同じことが繰り返されてまた犠牲者が出てしまう」
=つづく
関係者へのインタビューは以下の動画からご覧いただけます。
【動画】東大病院の循環器内科のトップ、小室一成教授へのインタビュー
【脚注】
*1 カッコ内はワセダクロニクル。
*2 指標は「左室駆出率」(LVEF)と呼ばれる。
*3 金子医師は2017年4月に出版した自著『急速展開する僧帽弁閉鎖不全症治療のカッティングエッジ Mitra Clipと新たなカテーテル治療が切り開く未来像』(メディカ出版)で、「30%程度ではMitra Clipをためらう必要はないのかもしれません」(153頁)と述べている。だが、LVEFが20%を切る患者への治療は「予後は不良と予測せざるを得ない」などとして勧めていない。福岡市の学術集会では、講演を聞いた医師から「10%台の患者を抱えている。マイトラクリップ手術をしても何も起こらないか」と質問があり、金子医師は「20%を切るとさすがに too late(手遅れだ)」と答えた。
*4 カルテには「(LV)EFが低く適応である30%を下回っている」「しかしながら転院前で前医で施行したTTEではVisual EF30%であり保険適応上は問題ない」と記載されている。
*5 カッコ内はワセダクロニクル。
*6 金子英弘「ドイツ臨床留学について」『急速展開する僧帽弁閉鎖不全症治療のカッティングエッジ Mitra Clipと新たなカテーテル治療が切り開く未来像』メディカ出版、2017年、123〜125頁。
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