葬られた原発報道

幻の紙面が問うた「福島第一原発事故の宿題」(6)

2019年11月11日11時43分 渡辺周

みなさん、こんにちは。ずいぶんと寒くなってきましたね。

さて、前回から日が空いたので、まずはこれまでのおさらいをしておきます。

ーー2011年3月15日午前9時、東京電力の福島第一原発は事故後最大の放射線量を記録しました。所員の9割が隣町の第二原発に撤退した直後でした。第一原発の吉田昌郎所長はその日の午前6時42分、所員たちに第一原発の構内にとどまるよう命令していました。

ところが、吉田所長の命令は実行されませんでした。

これに対して、東電本店はこの日の記者会見で事実と異なる発表をしました。

「所員たちは第一原発にいる」

このときの真相が明るみに出たのは3年後でした。政府事故調は事故後、吉田所長を聴取した調書をつくっていました。朝日新聞社はその調書を入手したのです。それをもとに2014年5月20日、朝日新聞社は「所長命令に違反 原発撤退」とスクープしました。

ところが朝日新聞社は2014年9月11日、その「吉田調書報道」のスクープを取り消します。社長の木村伊量さんは記者会見で頭を下げました。慰安婦問題で謝罪しなかった朝日新聞社の姿勢を批判した「池上コラム」を不掲載にしたことで批判が高まり、追い込まれていたからです。この批判をかわすため、吉田調書報道を「生贄(いけにえ)」にしました。

記事を取り消すというのは、「あれはウソでした」というに等しいことです。戦後すぐ、指名手配され潜伏していた共産党幹部とのインタビューを朝日新聞がでっち上げた「伊藤律架空会見事件」がそうでした。しかし吉田調書報道では、調書は記者の手元にあり、事実と異なる部分はありません。

この処分に対し、取り消しに反対する声が次々と朝日新聞社に寄せられました。

福島で被災した男性は、読者窓口に電話でこう言っています。

「原発は事故が起きたら制御不能だと伝えた記事だ。ペコペコ謝るな」

「吉田所長が1F(第一原発)で待機しろといったのに、2F(第二原発)に行ってた。状況的には命令違反じゃないか」

「あの時は東日本が壊滅するかどうか紙一重の状況の中で、1Fにとどまれといったんだよ」

また、全国の弁護士194人が抗議の申入書を朝日新聞社に提出しました。

「圧力に屈することなく事実を公正に報道する使命を自ら放棄することにつながる」

記事を取り消す前、朝日新聞は記事への批判を受けて立つ姿勢でした。批判に応える詳報記事まで用意していました。その詳報を出す掲載日は、4度にわたり計画されました。しかし、とうとう掲載は実現しませんでした。ーー

以上がこれまでのおさらいです。では、掲載されなかった「幻の詳報」とはどんなものだったのでしょうか。

「取り消し」6日前に

私の手元に、6,000字以上に及ぶ吉田調書報道についての「幻の詳報」原稿があります。取材チームがあった特別報道部が作った原稿です。

もちろん特報部が勝手に作った原稿ではありません。

編集担当役員の杉浦信之さんや、ゼネラルエディター(編集局長)の渡辺勉さんの下で原稿作りが進められ、1、2、3面を使って大展開する予定でした。掲載予定日は、9月5日。吉田調書報道が取り消される6日前のことです。

目的は批判に応えることです。

2014年5月20日に「所長命令に違反 原発撤退」という見出しの記事を出して以来、週刊誌などのメディアは「第一原発の所員が臆病で逃げ出したと書いているのに等しい。東電社員の名誉を傷つける。朝日新聞は日本人を貶めた」といった趣旨の批判をしていました。ネット空間も巻き込んだ「朝日バッシング」が起きていました。

しかし、吉田調書報道の真意は、「原発は過酷事故が起きると制御不能になる」と伝えることです。「逃げた」とも書いていません。

取材班は初報を出す前、吉田所長の命令が伝わっていなかった所員もいたことを確認し、「逃げたとは書けない」と判断していました。

「幻の詳報」のうち、特報部長の市川誠一さんの解説は「吉田調書報道」が本当に伝えたかったことがよく現れています。

私は市川さんの原稿を読んだ時、これを世に出すことこそ読者への責任だと思いました。

以下がその全文です。

特報部長解説の全文

「原発事故はひとたび起こると広大な地域の住民の生命・安全を脅かします。二度とこうした惨事を繰り返さないためにも、福島第一原発事故で得られた教訓や反省点を今後に生かさなければなりません。しかし、事故から3年以上たったいまも、過酷事故が起きた時に、暴走する原発を誰が制御するのかという人的対策は進んでいません」

「吉田調書には、事故が深刻化するなかで『東日本壊滅』という事態まで想像したという吉田所長の言葉が出てきます。結果的にそこまでの事態は避けられましたが、大量の放射能汚染が起きて13万人近くが今も避難生活を強いられている現実を忘れるわけにはいきません」

「私たちは、政府が非公開としてきた吉田調書をいち早く入手し、その中から政府や東電が明かしてこなかった新事実を見つけ、他の証拠と照らし合わせながら報道してきました。『第二原発への撤退問題』はその一つです」

「その報道の目的は、過酷事故のもとでは危機対応に必要な作業員が大量にいなくなることもあり得るという現実を直視し、組織・体制のあり方を根本から練り直す必要があることを問いかけることにあります」

「原子炉の暴走を最後に止めるのは結局『人の手』です。電力会社の所長以下限られた所員で対応するのか。それとも公的機関による特殊部隊をつくるのか。政府と電力会社は、事故が残した宿題にまだ答えを出していません」

「政府は原発設置の審査を厳しくしました。ハードの性能をどんなに高めても事故は起こりえます。その時にどんなメンバーが危機対応にあたるのか。交代要員をどう確保するのか。政府はどんな支援をするのか。法制化を含め、こうした問題はほとんど手つかずのままです」

「政府はこのほど方針を転換し、吉田調書を開示すると発表しました。政府事故調が作成したほかの調書も本人の同意があれば開示していく方針です。朝日新聞もこの機会を生かし、真相解明に資する報道を読者や国民のみなさんに提供していく所存です。【特別報道部長・市川誠一】」

以上がその全文です。

第一原発所員の声も紹介

私の手元にある「幻の詳報」では、市川さんの解説のほかにも以下の内容が含まれています。

  • (1) 政府事故調の吉田調書以外に、テレビ会議で東電社員が取ったメモが吉田所長の命令を裏付けている
  • (2) 東電は記者会見で、緊急時に現場に残ることが義務付けられている幹部を含め、所員の9割が第二原発に撤退したのに所員は第一原発にとどまっていると説明した
  • (3) 所員の9割が第一原発を離れた後、4時間の間に2号機から白煙や湯気が大量に上がり、4号機では火災が起きた
  • (4) 第一原発の所員に吉田所長の待機命令はまったくといっていいほど届いていなかった。テレビ会議システムがつながった部屋と別の場所にいた所員もいた

いずれも読者に知らせるべき内容です。

特に、(4)の第一原発の所員の声は、初報に「所員が逃げた」と思わせる意図はなかったにせよ、誤解をされたのならしっかり記事で伝えるべきです。

しかし、9月5日の掲載に向けて準備していたこれらの原稿はお蔵入りとなりました。朝日新聞社は読者に伝えることを放棄したのです。

6日後の取り消しまで、朝日新聞社内は刻一刻と状況が変化していきます。何があったかは次回以降に。

=つづく

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