葬られた原発報道

「功名心」が封じた続報 (5)

2019年05月22日12時28分 渡辺周

「池上コラム不掲載」への批判をかわすため、朝日新聞社は「原発吉田調書報道」を取り消すことでそちらに注目を集めようとしました。それは前回の「朝日新聞『記者会見』のウソ」でお伝えした通りです。

吉田調書報道の初報は2014年5月20日です。その取り消しは同じ年の9月11日。3ヶ月半もの時間があります。その間、朝日新聞社は吉田調書報道について何をしていたのでしょうか。

経緯をたどると、「功名心」から対応が遅れた末に、自滅した朝日新聞社の姿がありました。

3年連続「新聞協会賞」を狙った朝日

朝日新聞社は当初、吉田調書報道を批判した雑誌に対して、抗議や謝罪を求めるなど強気でした。法的手段も辞さない構えでした。

それどころか朝日新聞社は、吉田調書報道で新聞協会賞を狙っていました。新聞協会賞は日本の「マスコミ」では栄誉ある賞とされ、新聞社は受賞回数を競い合っています。朝日新聞社は、特別報道部が中心となった記事が2012年と2013年に連続で受賞していました。いずれも原発事故に関する報道で、2013年は「手抜き除染」、2012年は連載「プロメテウスの罠」で受賞しました。

社長の木村伊量さんは、特報部記者たちを交えた宴席で、こんなことを得意げに話していたのを覚えています。その宴席は、東京本社の本館にあるレストラン「アラスカ」でありました。

「朝日が原発事故の報道で連続して受賞するものだから、読売の幹部は苦虫をかみつぶしたような顔をしていたよ」

もし、吉田調書報道が受賞すれば原発事故の報道で3年連続の受賞になります。朝日新聞社は2014年7月3日、吉田調書報道で新聞協会賞に応募しました。

結局は7月25日に1次審査で落選しましたが、朝日新聞社が吉田調書報道を社外にアピールする「看板」として活用しようとする姿勢は変わりませんでした。

さらに、8月28日には、翌2015年度の会社案内に掲載するため、CSR推進部の担当者から、吉田調書報道の取材班に掲載用ゲラのPDFファイルがメールで送られてきました。

タイトルは「『吉田調書』が語るもの」。そこには、記事が取り消された後に懲戒処分を受けることになる取材班の2人の顔写真も載っていました。

封じられた続報

朝日新聞社が吉田調書報道を社の功績としてアピールしようとする中で、犠牲になったのが「続報」です。ことごとく載りませんでした。

吉田調書報道の最初の記事の見出しは「所長命令に違反 原発撤退」となっていました。福島第一原発の所員が「『逃げた』と書いている」との批判が出ました。しかし、記事には「逃げた」と一言も書かれていません。主眼は、原発の過酷事故のもとで誰が事故の収束に対処するのか、を問うものでした。

批判は記事の主旨とズレたものでした。このため、続報を出すことで、記事の主旨と根拠を詳しく説明しようとしました。そして、6月4日に広報部長の岡本順さんを交えた編集サイドとの話し合いで、詳報を用意することが決まりました。

最初に予定された掲載日は7月4日です。総合面と特設面を使って、続報を展開することになりました。

しかし、7月2日に中止が指示されました。中止を決めたのは、「危機管理ライン」と呼ばれる編集担当役員の杉浦信之さん、社長室長の福地献一さん、広報担当役員の喜園尚史さんです。

取材班には担当デスクから「理由は追って説明する」と伝えられました。

翌日の7月3日に、新聞協会賞の応募の締め切りを控えていました。朝日新聞社の幹部は協会賞の審査を前に記事に傷をつけたくなかった、と幹部の人は教えてくれました。

次の掲載予定日は7月24日に設定されました。新聞協会賞に応募した7月3日、取材班に「新聞協会賞の1次審査日である7月24日に向けて詳報紙面を作るように」と再度指示があったのです。ところが、これも実現しませんでした。協会賞の審査にプラスに働くのかマイナスになるのか揺れていました。

グズグズしている間に

吉田調書報道は7月25日に1次審査で落選しました。吉田調書報道で新聞協会賞を受賞する目的はなくなりしたが、8月に入ると状況が刻一刻と変わっていきます。

まず8月5日と6日に朝日新聞が慰安婦報道の検証を掲載しました。ところが、ウソの証言をもとにした記事を取り消したのに謝らなかったことへ批判が起きます。

8月18日には産経新聞が吉田調書を入手し、朝日新聞の報道内容を批判します。朝日新聞が5月20日に吉田調書を入手して以降、マスコミ各社は調書を入手できず報道できませんでした。しかし、政府が吉田調書の公開を決定する前後から、他社が次々と手に入れたのです。そこからは堰を切ったように大手マスコミが吉田調書について報道します。次のような具合です。

日本テレビ(8月23日)、NHK(8月24日)、読売新聞(8月30日)、共同通信(8月31日)、毎日新聞(8月31日)。

この最中の8月25日、朝日新聞は9月1日に総合面と特設面を使って吉田調書を詳報することを決めます。この日、担当デスクは取材班に編集担当役員の杉浦さんの言葉を伝えました。「杉浦さんは『強く行け』『絶対に謝るな』といっている」

「功名心」再び

ここでまた朝日新聞社の幹部たちは「功名心」をのぞかせます。

吉田調書報道は落選したものの、「徳洲会から猪瀬直樹・前東京都知事への5000万円提供をめぐる一連のスクープ」については、新聞協会賞が内定していました。9月3日が正式発表なので、掲載日を9月1日から9月5日に延ばすことになったのです。

ところが9月2日に「池上コラム」を朝日新聞が掲載しなかったことが週刊文春にスクープされます。これを機に、それまでになかったような逆風が朝日新聞を襲いました。

結局、9月5日に予定されていた吉田調書報道の詳しい続報も中止になりました。

整理すると、7月4日、7月24日、9月1日、9月5日の計4回、朝日新聞は吉田調書報道への批判に応えるための続報を出そうとしました。それらのすべてが実現しなかったのです。

報道内容に批判が寄せられることは、よくあります。報道した側の意図が誤解される場合もあります。

その場合、私たちジャーナリストは追加で記事を出したり放送したりして内容を補っていきます。捏造でない限り、それが読者や視聴者への説明責任です。記事を取り消すことはありえません。

しかし、朝日新聞社は、読者への説明責任よりも、会社の功名心や組織の防衛を優先したのです。

吉田調書報道を、当初は新聞協会賞を取るために利用し、追い詰められた土壇場では社長を池上コラムの逆風から守るための「生贄」として差し出したのです。

「幻の続報」が一体どんな内容だったのかは、次回お伝えします。

=つづく

葬られた原発報道一覧へ