2019年5月、横須賀市と近隣の住民48人が経産大臣を相手取って東京地裁で訴訟を起こした。大量のCO2を発生させる横須賀の石炭火力発電所の建設を止めたいからだ。
経産省を相手取ったのは、発電所の建設に必要な環境アセスメントを承認する権限を持っているためだ。
ところが裁判の過程で経産省は、自分たちがつくった資料のデータを含め、地球温暖化に関する基本的なデータを次々に否定しはじめた。
東京地裁は2021年5月17日、経産省に対して、そうした裁判での「不誠実な態度」を改め、データに関する認否のやり直しをするよう求めた。
海の底に広がる「死の世界」
前回で報じた環境アセスメントのごまかしに加えて、原告が裁判で強く訴えているのは、地球温暖化による被害だ。豪雨や暑さによる熱中症、海温上昇による漁業被害が日本中で拡大しているからだ。
例えば2018年6月から7月にかけての西日本豪雨では、230人を超える死者が出た。7月には、埼玉県熊谷市で観測史上最高の41.1度を記録。この年の熱中症による死者は全国で1581人に上った。
ドイツの研究団体でNPOのGermanwatchは、「2018年に異常気象の被害を世界で最も受けたのは日本」という研究結果を発表した。
気候危機は、石炭火力発電所が建設されている横須賀にも迫っている。
原告の1人でプロダイバー歴40年の武本匡弘(65)は、20年ほど前から相模湾での異変に気付いた。
海に潜ると、海藻が死滅する「磯焼け」と呼ばれる現象が進行していた。海水温が上がったせいで、海藻を餌にする魚やウニの一種が活発化して海藻を食い尽くしたとみられる。
磯焼けが進むと、魚や貝にとっての餌がなくなる。三浦半島の周りの海ではアワビの種苗の放流が行われていたが、神奈川県水産センターの研究報告によると、磯焼けの影響で2012年から種苗が育たなくなった。
武本は世界の海で同様の変化を観察してきた。20年ほど前から、オーストラリアのグレートバリアリーフでサンゴ礁が死滅しはじめ、南マーシャル諸島の島は海面上昇で沈んでいった。相模湾の磯焼けと時期が重なる。温暖化の影響であることは、明らかだと武本はいう。
「新たに石炭火力を作っている場合か。国も発電所を建設しているJERAも目を覚ますべきだ」
とぼける経産省
裁判で気候危機による被害を訴える原告に対して、被告の経産省はまともに取り合わなかった。
例えば、石炭火力発電所が排出するCO2の量についてだ。原告側は「石炭火力を早くやめる必要がある」根拠として、次のデータを挙げた。
「石炭火力のCO2排出量は、どんなに発電効率がいい発電所でも、天然ガスを使った火力発電の2倍だ」
このデータを経産省は当初、「否認」した。否認とは、相手が示した事実や主張を認めないということだ。裁判では原告が訴えの中で主張した事柄に対して、被告は認めるか認めないかを明らかにする必要がある。
ところが、原告側が引用した「石炭火力のCO2排出量は、天然ガス火力の2倍」というデータは、経産省の組織である資源エネルギー庁がつくった資料に載っていた。
この資料は、2015年11月20日に総合資源エネルギー調査会の第18回基本政策分科会で使われている。当時エネ庁電力・ガス事業部だった多田明弘(現経産省事務次官)が、財界や学者らが務める委員たちに説明するために使った。
多田は「石炭火力のCO2排出量における、これはファクトの整理でございます」と委員に説明した上で、資料の該当ページを伝えた。そこには「石炭火力発電は、LNG火力発電に比べおよそ2倍程度のCO2を排出」と書いてあった。
経産省は、数年前に自分たちが議論の基礎として用いたデータを、自ら否定したのだ。
世界で共通の認識になっている基本的なデータについても、経産省は認めなかった。
例えば、世界の平均気温が産業革命の前より約1度上昇したことや、CO2の大気中の濃度が工業化社会になる前の278ppmから2016年には403ppmに上がったことは、客観的な事実だ。
しかし経産省は、原告が挙げたデータが気象庁のホームページに載っていること自体は認めたものの、真偽については「不知」、つまり知らないという立場をとった。
原告の代理人弁護士である半田虎生は、法廷で語った。
「経産省が認めなかったデータは、同じ政府の組織である気象庁が公表しているものだ。それを『知らない』というのはあり得ないことだ」
11カ所で認否をやり直し
こうした経産省の態度に対し、東京地裁は2021年5月17日の公判で原告の主張に対する認否のやり直しを求めた。
それから3ヶ月半。経産省は9月3日、11カ所の認否をやり直した。石炭火力が天然ガス火力に比べてCO2を2倍排出することや、世界の平均気温が産業革命の前より約1度上昇したことなど当初は否認していたデータを、今回は認めた。
横須賀の石炭火力発電所が近い逗子市の飯沼佐代子(51)は、夫と娘と共に原告団に加わっている。飯沼は「親として子どもたちの世代にちゃんと生きていける環境を残していかないといけない」と真剣だ。
一方の経産省は、自ら作った資料に載せていたデータさえ裁判所に諭されないと認めない。飯沼はいう。
「政府側はどうせ自分たちは裁判に勝つと思っている。だから裁判でそういう態度をとるんだ」
しかし、海外では気候危機をめぐる国を相手取った裁判で、原告が勝訴する事例が次々と出ている。そうしたケースを次回、詳報する。
=つづく
(敬称略)
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この記事は、オーストラリアの財団「Judith Neilson Institute」の「アジアンストーリーズプロジェクト」からの支援を受けている。プロジェクトには「オーストラリア財務レビュー」(オーストラリア)、「メディア・発展センターベトナム」(ベトナム)、「KCIJニュース打破」(韓国)、「マレーシアキニ」(マレーシア)、「テンポ」(インドネシア)、「トーティスメディア」(イギリス)が参加している。
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