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動燃でプルトニウム製造係長を務めていた竹村達也は、フランスの高速増殖実験炉「ラプソディー」に核燃料を納めるプロジェクトの現場責任者だった。しかし、竹村たちが作った燃料は不良品としてフランスから返品されてしまう。
燃料は1970年に作り直すことができたものの、竹村はプルトニウム燃料部を外される。異動先は技術部の検査課試験係。核燃料を覆う被覆管の性能をチェックする仕事だ。プルトニウム燃料部にいたかつての科学者たちは「ラプソディープロジェクトの失敗で左遷された」と口を揃えた。
竹村が動燃を退職して失踪したのは1972年。竹村は動燃での最後をこの技術部検査課試験係で過ごした。
私は技術部にいた動燃の元職員がいないか探した。当初の取材では、プルトニウム燃料部での仕事仲間たちから証言を得ていたが、プル燃のOBたちは技術部にいた人たちとは交流がなかった。プル燃のOBたちは、アメリカやフランスへの留学経験者もいる「エリート」。技術部とは毛色が違うようだった。
私は動燃の職員名簿を入手した。名簿は1971年12月時点のもの。つまり竹村が退職する3カ月前のものだ。
名簿を元に動燃関係者たちをあたった。茨城県東海村に今でも住むOBの自宅が分かった。取材に応じてくれた。
竹村のことを知っているか尋ねると、そのOBは「うん、知ってますよ。失踪したはずだ」と応じ、竹村の話を始めた。
「どこの大学か分かんないけど大卒の研究員だよね。真面目な人だ。誰かに恨まれることなんてこともない」
「それが急にいなくなっちゃった。自らいなくなったんだよね」
ー自らいなくなった?
「竹村さんは独身で寮に住んでたんだ。私は中卒で組合活動もしていて会社から差別されていたから、寮には入れなかったんだけど。身辺を全部整理して寮の部屋も引き払って。彼は研究者だから学術書だとか持っていますよね。それが水戸市の古本屋で見つかったんだ。その本には竹村さんの名前が書いてあった。竹村さんと同じ寮に住んでいた職員から聞いたんだ」
そしてOBは「だから拉致されたとかそういうことではない」と語った。
しかし、と私は思った。プルトニウム燃料部で竹村の部下だった科学者は、竹村が独身寮の駐車場にカローラを置いたまま失踪したと証言していた。愛車を放置したまま自らいなくなる人はいないのではないだろうか? しかも当時はまだ自家用車が贅沢品の時代だ。
その点をOBに尋ねると、思いもよらない答えが返ってきた。
(敬称略)
=つづく
*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。
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