もし、あなたの大切な人が、効果を期待できない危険な治療で亡くなり、それが医療事故ではなく単なる「病死」として処理されていたとしたら、どうしますか?
東京大学病院で、最新の心臓カテーテル治療を受けた41歳の男性が、治療の失敗後に死亡した。治療中に生じた肺からの空気漏れによる「気胸」を長く見逃され、男性の容体は急変したとみられる。カルテや検査画像に、その証拠がはっきりと残っている。医師たちが気胸に早く気づいていれば、男性は術後16日で死亡することはなかったのではないか。しかし、東大病院は解剖もせず、男性を「病死」として処理した。
これは東大病院による組織を挙げての隠蔽ではないのか。
熟練した医師ならば難しくないが…
私たちは、カルテなどの資料を4人の専門医と詳しく検証した。その内容を基に、治療当日を再現する。
2018年9月21日午前、東大病院の手術室に男性が入った。マイトラクリップと呼ばれる最新の心臓カテーテル治療(*1)を受けるためだった。心臓の収縮力低下を招く難病「拡張型心筋症」を7年前から患っていた男性は、心機能が著しく低下し、この治療を受けられる状態ではなかった。それにも関わらず、東大病院が治療を強行したことはこれまで報じた通りだ。(これまでの記事はこちらから)
カテーテル治療が始まった。担当医は循環器内科の金子英弘医師。手術室にはほかに、同じ科の医師たちや、心エコーを扱う医師、全身管理を担う麻酔科医、そして看護師らがいた。
金子医師の主導のもと、男性の脚の付け根にある太い静脈に、カテーテルが差し込まれた。
行き先は心臓だ。
静脈を出たカテーテルは、心臓の右側に入った。
ここからが山場だ。
心臓上部の左右を仕切る壁(心房中隔)に、カテーテルを通す小さな穴を開けなければならない。カテーテル治療に詳しい他の病院の循環器内科医は語る。
「心房中隔に穴を開ける手技は、ある程度の技術が要ります。しかし、熟練した医師ならばそれほど難しくはありません」
カテーテル治療は、レントゲンや超音波の画像を見ながら進められた。だが、行き詰まった。
心房中隔になかなか穴が開かない。何度もトライした。それでもだめだった。
カルテにはこう記載されている。
「中隔穿刺を行ったが、中隔の肥厚、(中略)何度通電しても穿刺できず」
「可変式カテなどを使用するも穿刺できず、これ以上の手技継続は合併症のriskを考慮し、本日は手技中止とした」
要するに、こういうことだ。
ーー心房中隔に穴を開けようとしたが、拡張型心筋症の影響で、思ったよりも厚くなっていて貫けない。カテーテルの種類を変えるなどして何度か試みたが、いずれも失敗に終わった。心臓にこれ以上の負担をかけると危険なので、マイトラクリップの装着は断念して、治療を中止したーー
ところが、この時、さらに重大なトラブルが発生していた可能性がある。
誤って心臓内の別の部分を突き、その先にある肺にも穴を開けてしまった可能性だ。
だが、そのことは考慮されなかった。
東大病院では6例目となる患者の治療は、途中で断念という明らかな失敗に終わった(*2)。
気胸を見逃し右肺が潰れる / 「信じ難い見落とし」と専門医
治療中止の直後、男性は胸部レントゲン検査を受けた。
結果は「特に問題なし」。カルテにはそう記された。
ところが事実は異なっていた。
私たちはこの男性のレントゲン画像を入手した。
その右肺下部には、縦長の黒い部分があった。
3人の医師にこの画像を見てもらった。都内の循環器内科医は「これを問題なしとするなんて信じ難い。担当医は本当にこの画像を見たのだろうか」と疑問を投げかける。他の2人も一目で「明らかな気胸です」と断言した。
気胸とは、肺に穴が開いて周囲に漏れ出した空気によって、肺が圧迫されて潰れることをいう。胸の痛みや呼吸困難が生じる。胸腔(*3)にたまった空気は、肺ばかりか心臓も圧迫する。肺の働きが気胸で低下すると、血中の酸素が減って心臓にも悪影響を及ぼす。
心臓の状態が著しく悪い患者にとっては、これらが致命傷となりかねない。
男性は初期の気胸を見逃され、医師から「深刻な問題はない」と判断された。このため治療の翌日には、集中治療室から一般病棟にうつされた。
しかし、一般病棟に移ったその日に、男性は血の混じった痰を吐く。改めて胸部レントゲン検査をした。
右肺が著しくつぶれていた。気胸が明らかに悪化していた。
緊急処置よりCT検査 / 容体が急激に悪化
この時のレントゲン画像も私たちは入手した。
これを見た都内の心臓外科医はいった。
「肺がひどくつぶれていて、一刻の猶予もない状態です。すぐに胸腔にチューブを刺し込んで、たまった空気を抜かなければならない」
しかし、東大病院の対応は違った。
緊急の処置は後回しにして、さらにCT検査(コンピューター断層撮影)を行ったのだ。
「レントゲン画像だけでも状態の悪さはわかります。すぐに処置をしないと、どんどん悪くなって生命にも危険が及ぶ。なぜ、のんびりとCT検査を行ったのか、私には理解できない」と心臓外科医は話す。
これに対して、都内の大学病院に勤務する循環器内科医は「状態をより正確に把握するため、CT検査を行ったことは許容できる」と理解を示す。
しかし「気胸をこのような状態になるまで放置したミスは重大です。この間に、患者の弱った心臓が受けたダメージは計り知れない」と指摘する。
男性のCT検査で確認できたのは、気胸の状態がやはりとても悪いということだった。気胸に加えて、出血を伴う「血気胸」も生じていた。肺に穴を開けた時に血管を傷つけて、出血が続いていたとみられる。
ここまで来てやっと、東大病院は胸の中にたまった空気を抜く処置を検討し始めた。
男性に気胸が生じてから、すでに24時間以上が経過していた。
男性の容体は急激に悪化した。
マイトラクリップ治療の失敗から5日後の9月26日午前には、心肺停止状態に陥った。蘇生処置と人工心肺の使用で、命はどうにか保てたものの、心臓は既に回復不能なほどのダメージを負っていた。
男性のカルテには、9月26日までの急変の経緯が次のようにまとめられている。
「処置後の気胸、AF(不整脈)出現などにより不安定な状態であった。そのことに由来したと思われるVT(不整脈)により、さらに低心拍出状態・循環維持が不可能となり、CPA(心肺停止)にいたったと考えられる」(*4)
10月7日。男性は死亡した。
解剖なし、理由は「お母さま希望されず」 / 「異変」記載なしの空欄だらけの死亡診断書
私たちの手元に男性の死亡診断書がある。男性が死亡した日、東大病院で作成されたものだ。
「死亡の原因」を詳しく記す欄には、直接死因「慢性心不全急性増悪」、直接死因の原因は「特発性拡張型心筋症」とだけ記されている。
マイトラクリップ治療の実施日時や、それによって生じた気胸などについては、記入欄に一切書かれていない。危険を承知で行った手術だったにも関わらず。
さらに、男性は解剖されなかった。
カルテにはその理由がこう書かれている。
「お母さま希望されず」
この対応を疑問視する医師は多い。東大病院関係者は「ミスを隠すため、遺族に解剖の重要性をしっかり説明しなかったのではないか」と見ている。
男性のケースは、持病の拡張型心筋症のために心機能が急激に悪化し、亡くなった、ということで処理された。
=つづく
関係者へのインタビューは以下の動画からご覧いただけます。
【動画】東大病院の循環器内科のトップ、小室一成教授へのインタビュー
*1 脚の血管から入れたカテーテル(医療用の細い管)の先端を心臓内の僧帽弁まで進め、この弁の先端を特殊なクリップで挟んで形を整える。それによって心臓内の血液の逆流を軽減し、心不全を改善させる。2018年4月に日本での保険適用が始まったばかりの新しい心臓治療。
*2 男性へのマイトラクリップ治療を担当した金子英弘医師は、「熟練した医師」のはずだった。ドイツ留学からの帰国後に出した自著『急速展開する僧帽弁閉鎖不全症治療―MitraClipと新たなカテーテル治療が切り開く未来像』では、こう書いている。「ドイツではヨーロッパ全体の症例数の約7割が行われており、世界最大の症例数を誇っています」「幸いにも私は世界の先頭を走るドイツに渡り、実臨床の現場で、これらの治療を経験し深く学ぶ機会に恵まれました」。
*3 肋骨や横隔膜に囲まれた胸の中の空間。この中に心臓や肺、食道などがある。
*4 カッコ内はワセダクロニクル。
検証東大病院 封印した死一覧へ