ワセクロの五感

野生王国の光と影(11)

2020年06月16日14時44分 友永翔大

2019年にタンザニアを訪れました。アフリカゾウが村を襲うと聞き、その理由を知りたいと思ったからです。コロナの流行で人通りが減ったチリの首都サンティアゴではピューマが現れたそうですが、私が訪問したのは連日アフリカゾウが現れる村でした。

体長6メートル以上、重ければ7.5トンにもなる陸上最大の動物がアフリカゾウ。密猟による絶滅の危機がしばしば指摘され、「保護しよう!」「命を救おう!」と言われることは数多く聞いてきた。しかし、タンザニアのある村で私が感じたことは違った。「ゾウが村を襲い、人を殺す」という恐怖と憎しみだった。「人間と自然の共生」は幻想なのか。そんなことを考え続ける旅となった。

タンザニア北部にある「セレンゲティ国立公園」近くの村を訪れたのは2019年8月。アフリカゾウが作物を食い荒らし、人を襲うという状況を聞き、自分の目で見てみたいと思ったからだ。

セレンゲティ国立公園には年間40万人の観光客が押し寄せ、タンザニアの主要産業となっている。観光客の目当ては大型の野生動物で、特に人気なのがアフリカゾウ。ランドクルーザーから双眼鏡を片手に身を乗り出し、写真を撮る欧米からの観光客を多く目にした。私は地元の人でギュウギュウ詰めの乗合バスから見ることができた。「写真でも撮ってみるか」と軽く考えていたが、目の前の茂みから凝視してくるアフリカゾウを見て、生まれて初めて「ゾウが怖い」と感じた。

訪れた村でゾウの被害を取材した。前日に近くの村で青年がアフリカゾウに殺されたのだという。死者は5人目。翌日に葬式があると聞いた。興味本位で参列するのは野次馬のようで気が引けたが、思い切って行くことにした。

死亡したのは19歳の青年マチャンゴさん。母親からの用事で村の中心部へ出かけ、家に帰る途中で襲われた。街灯のない暗闇を必死に走って逃げたが、追いつかれて踏み殺されたのだという。彼の19歳の誕生日の夜だと聞いた。

葬式には村中の人が集まり、彼の友人たちも制服を着て並んでいた。100人を超える参列者にマチャンゴの親族が食事を振る舞っていた。ときおり笑い声も聞こえた。ただ、母親だけは最後まで姿を見せなかった。

棺が運ばれてきた。小さな白と黄色のリボンが風でヒラヒラと揺れていた。きれいなジャケットに革靴を履いた男性が目に付いた。県の役人だという。県内で5人目の死者となったことから、「住民の反発を恐れて火消しに来たんだ」と耳打ちしてくれる人もいた。

牧師が祈りを捧げた。マチャンゴの同級生に「朝7時前に登校してはいけない」という注意が与えられた。ゾウから身を守るためだという。命を守るのにそんな方法しかないのかと驚いた。

棺が埋められる直前、最後のお別れの時間があった。開かれた棺にハエが群がり、追い払うために村人が吹きかけたスプレーのバニラのような甘い香りが周囲に漂った。誰も声を発しなかった。草を踏む音と、ときおり鳴る携帯の着信音が響いた。

棺は家の囲いの外に埋められた。「家の中に不運が入らないようにするためだよ」と教えてくれた。不慮の事故死があると不運が伝染しないようにするための習慣だという。マチャンゴの死は不運だったのか。そんなことを考えながら、埋葬を見つめた。

県から家族に支払われ見舞金は、日本円で2万5千円ほど。タンザニアの最低月収の数倍だ。5人目の死者にして初めての見舞金なのだという。命の値段とは何だろう。マチャンゴの死後、さらに2人がアフリカゾウに殺されたと人づてに聞いた。

「この国では、動物の方が人間よりも上だ」。ある村で聞いた言葉だ。

アフリカゾウを守ろうといえば正しく聞こえる。私もそう思ってきた。しかし、襲われて亡くなる人々が実際にいる。毎晩、死と隣り合わせの生活。さらに、ある家屋は動物保護の一環で焼かれたとも聞いた。村人がおびえるのはゾウだけではないのだ。

保護をめぐって利害が入り乱れる。「人間と自然は共生できるのか」。そんな単純なテーマでくくれない深い問題に直面することになった。(つづく)

リポーター 友永翔大

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