道端のヨモギに、目をやるクセがある。子どもの頃に身についたクセだ。
幼稚園の年長から小学校を卒業するまで、私は家族と広島で暮らした。母はスーパーの惣菜部門で働いていて、いつも仕込みのために朝6時には出かけ、帰宅は夜8時を回る。そのスーパーの惣菜は、人気があって忙しかった。
特に人気があったのが「ヨモギ餅」だ。餅にヨモギをまぜてアンコをくるむ。京都の和菓子屋さんで出てくるようなこじんまりとして上品なものではなく、肉屋さんのコロッケのようにゴロッと大きい。アンコの甘みとヨモギの香りがよく合う。私も大好物だった。
原料のヨモギは、母が地元で摘んで集めていた。採ってきたヨモギを一旦ゆがいておにぎりみたいに圧縮し、サランラップで包み冷凍庫に貯めておく。
ただ、ヨモギ餅は飛ぶように売れる。我が家の冷凍庫に保管しているヨモギのストックはどんどん減っていって常に自転車操業だ。
だが母は働き詰めで、クタクタだ。夜テレビを一緒に観ていてもすぐに口を開けて寝てしまう。2時間もののドラマなど最後まで観たためしがない。
いつからか、私がヨモギを採ってくるようになった。登校時に大きな黒いゴミ袋を持っていき、下校時にヨモギ摘みにいそしんだ。
重要なことは、柔らかくてきれいなヨモギを探すことだ。犬のおしっこがかかっていたり、車の排気ガスを浴びていたりするようなヨモギはダメだ。商品として出せない。太陽の光を浴びすぎて、カピカピになっているようなヨモギも良くない。
歩きながらキョロキョロと周囲を見渡し、通学路を脱線しては、雑木林のようなところでよくヨモギを採った。フワフワに柔らかいヨモギの一群を見つけた時は、嬉しくなって袋いっぱいに摘み取った。帰宅した母がそれを見て喜ぶのも嬉しかった。
あれから35年が経った。当時は「大人になったらお母さんに楽をさせてあげたいなあ」と思っていたのに、全く実現できていない。それどころかワセクロを始めてから、「ちゃんと暮らしていけているのか」と逆に母に心配をかけてしまっている。自分が選んだ道でこれっぽっちの後悔もないし、良き仲間と支援者に囲まれ自分は幸せ者だと思う。ただ、母には申し訳ないなと思う。
先日の母の日は、久しぶりに自分から母に電話した。
編集長 渡辺周
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