ミャンマー国軍が所有する軍事博物館跡地に、日本企業がホテルや商業施設を作る不動産プロジェクトについては、本シリーズの1回目で報じた。ところが、それをはるかに凌ぐ大規模なプロジェクトが、国軍が政権を掌握したミャンマー政府と日本政府の出資で、今も続いている。
ヤンゴン近郊にある「ティラワ工業団地」。広さは軍事博物館跡地のプロジェクトの1500倍で、東京・千代田区と中央区を合わせた広さがある。
ティラワ工業団地には、トヨタ自動車など日本企業が56社進出している(6月1日現在)。そして国軍系企業が、関連の開発事業である橋の建設に加わっていた。
これほど大規模な工業団地の開発が、財政基盤の弱いミャンマー政府になぜできたのだろう。
そこには、一般社団法人日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長の存在があった。
渡邊会長は、国軍出身のテインセイン大統領と強い繋がりを持つ。渡邉会長は、協会メンバーに与党の有力政治家を入れることで、日本政府の協力を取り付けた。中国や韓国との共同開発を模索していたミャンマー政府との交渉では、テインセイン大統領とのパイプを生かした。
1000億円を超える日本の政府開発援助(ODA)が投入され、ティラワの開発が進んだ。
2012年4月にテインセイン大統領が来日した際の写真。左から、日本財団の笹川陽平会長、麻生太郎元首相、テインセイン大統領、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長=「MYANMAR FOCUS 1号」より
突然の貼り紙、立ち退き命令
ティラワ地区は、ミャンマー最大の都市ヤンゴンから南東に23キロの位置にある。大半が米作りや畑作を生業にする農家だった。鶏やアヒル、ヤギなどの家畜も飼って家計の足しにしていた。
ティラワ開発の問題を追及し続けているNGO「メコン・ウォッチ」によると、その長閑な農村に緊張が走ったのは、2013年1月31日のことだ。以下の命令通知書が突如、3800人が暮らす900世帯に貼られた。
「14日以内に立ち退くこと。応じなければ30日間拘禁する」
ティラワ工業団地の開発に伴う立ち退き命令だった。前年に日本人の一行がティラワに見学に来るなど、企業が進出する兆候はあった。だが、立ち退くことなど住民には寝耳に水だ。
このまま立ち退けば、住まいと農地を失ってしまう。危機感を抱いた住民たちは、貼り紙通知から1週間あまりの2月8日、テインセイン大統領宛てに通知を拒否する抗議文を送った。
「土地を耕作できるようにするまでには、何世代にもわたる作業が必要でした。農民はこの農地のために、労働、汗水、そして資金をつぎ込んできました」
しかし、テインセイン大統領からは何の回答もなかった。工事はどんどん進み、住民たちは立ち退かされた。
どんどん進んだ土地の造成作業=2014年10月、メコン・ウォッチ提供
立ち退き世帯の平均月収は、立ち退き前の3万2700円から7100円に落ち込んだ。政府は、工業団地の周辺に代替住宅を用意してはいた。しかしそれは劣悪で、雨季にはトイレの糞尿があふれた。
生活手段を失った住民は、子どもの食事を抜かなければならない貧困状態に陥った。そんな母親の1人はいう。
「とてつもないストレスを感じます。心臓に違和感を感じることもあります」
豪雨の後は水浸しになる移転後の住居=2014年11月、メコン・ウォッチ提供
とっくに話はついていた
ティラワ住民の各世帯に立ち退き命令が貼られた2013年1月、日本ミャンマー協会の活動記録誌「MYNMAR FOCUS」には、渡邉会長の新年のあいさつが載った。
「私は、昨年、7度ミャンマーを訪問し、テイン・セイン大統領をはじめ上院議長、下院議長、政府首脳、USDPテー・ウー総書記あるいは野党NDF党首、民間企業の方々との会談で、日本への期待を確実に実行できるように、日本とミャンマーの橋渡しの役割を果たしてきております」
さらに渡邉会長は、ティラワについて言及する。
「日本の支援の象徴でもあるティラワ工業団地の開発は、3~4カ国のそれぞれの開発計画であったものを、大統領、所管の大臣、政府首脳と何度も時には5時間、6時間にわたる会合を通じ日本が全体開発をミャンマーと共同で行う事、その周辺のインフラ整備全てを日本が行うことに大統領の決断のもと合意いたしました」
住民がテインセイン大統領に抗議文を送ったときには、テインセイン大統領と渡邉会長との間で、工業団地建設の話はとっくについていたのだ。
ミャンマー政府にはティラワの開発を、中国、韓国、日本が分割して行うことも選択肢にあった。しかし日本政府はミャンマーに貸し付けている5000億円を帳消しにしたり、新たなODAを出すことを決めたりして「大盤振る舞い」で開発の独占権を得た。そのことを渡邉会長はいっているのだ。
日本政府とミャンマー政府は、開発のための現地会社「Myanmar Japan Thilawa Development Ltd.」(MJTD社)に出資した。
その後も、日本はティラワ工業団地のインフラ整備名目でのODAを重ね、その額はこれまでに1119億円に上っている。スズキやトヨタ、ヤクルトなど大手企業が続々と進出した。ティラワに進出した日本企業は、56社に上っている。
開所した直後のティラワ工業団地=2015年10月、メコン・ウォッチ提供
30年前の出会い
テインセイン大統領と、日本政府の「代理人」のように交渉する渡邉氏とは、どのような人物なのか。
渡邉氏は、故中曽根康弘氏の秘書から政治家になった。地元は新潟県三条市。衆院議員6期、参院議員2期を務め、内閣官房副長官や郵政大臣を歴任した。2010年に政界を引退した。
ミャンマーに力を入れるようになった理由について、渡邉氏は2018年にMJTD社の幹部らを招いた会合で明かしている。官房副長官だった渡邉氏が、中曽根首相、後藤田正晴官房長官と共に語り合ったことが原点だった。
そこで3人は次のような話をしたという。
「ビルマ政府は終戦後、残留日本兵を戦争犯罪人として裁かず帰国させた」
「戦後の食糧難の時に無償でビルマ米を送ってくれた」
「東南アジアの他国に先駆けて戦争賠償の請求権を放棄してくれた」
中曽根、後藤田両氏からミャンマー支援を託されたという渡邉氏は、単独でミャンマーにわたり軍事政権とのパイプを築いていく。
親しかったのは、首相を務めたキンニュン氏だ。小渕恵三元首相の葬儀でキンニュン氏が来日した際には、次期首相に決まっていた森喜朗氏に引き合わせるなど、日本政界にも売り込んだという。
そのキンニュン氏が信頼を置いていたのが、後に大統領になるテインセイン氏だった。
テインセイン氏と渡邉氏が出会ったのは、渡邉氏が1991年から約1年間務めた郵政大臣の時だ。テインセイン氏はシャン州の軍管区司令官だった。日本の郵便貯金を活用した医療支援でシャン州を訪れた際、テインセイン氏が空港まで渡邉氏を出迎えた。それ以来、親交が始まったという。
チャンス到来の2011年
しかし欧米各国は、軍事政権による人権侵害やアウンサンスーチー氏の軟禁を理由にミャンマーに対する経済制裁を加えている最中だった。日本もODAを人道支援などに限定し歩調を合わせていた。大きな仕事をするチャンスはなかった。
ところが2011年、渡邉氏にチャンスが到来する。軍事政権が、アウンサンスーチー氏ら政治犯を釈放し、各国が経済制裁の解除に動き出した。しかもテインセイン氏が大統領に就任したのだ。
渡邉氏はこの年、一般社団法人日本ミャンマー協会を設立した。政治家からは中曽根氏を名誉会長に迎え、麻生太郎氏が最高顧問、仙谷由人氏や古賀誠氏らが役員に就いた。財界からは三菱商事の佐々木幹夫相談役、丸紅の勝俣宣夫会長らが理事になった。渡邉会長が「同志」と呼ぶ笹川陽平氏が会長の日本財団は、設立にあたり3600万円を日本ミャンマー協会に寄付した。
ティラワは、日本ミャンマー協会が最初に狙った大型案件だった。協会の設立パーティーには民主党政権の経産大臣だった枝野幸男氏も駆けつけてティラワの開発について語った。
「日本企業のみなさんとともに、間違いなく両国の協力はWIN-WINの関係で発展させていける」
クーデター後も入居企業募集中
外務省はじめ省庁の幹部を前に話をする渡邉秀央会長=2021年1月、「MYANMAR FOCUS 35号」より
ティラワは、国軍の資金源となるプロジェクトだ。
ティラワに通じる「バゴー橋」の建設には、日本のODAが入っているが、国軍系の企業「ミャンマー・エコノミック・コーポレーション」(MEC)の子会社が日本企業の下請けとして参加している。MECにはクーデター後、アメリカが経済制裁を加えている。
さらに、今年2月1日に国軍がクーデターを起こし政権を掌握してからは、国軍はティラワの運営に深く関与できるようになった。ティラワの運営会社MJTD社には、日本政府と共にミャンマー政府が出資しているからだ。
国軍の関与が強化される中で、日本ミャンマー協会のウェブサイトには6月、ティラワ工業団地への進出を企業に促す最新資料が掲載された。電力や水道、人材紹介といったMJTD社が行っているサービスの紹介や、工業団地への企業の入居状況を伝えたものだ。
国軍の資金源になってもなお、渡邉会長はティラワ工業団地に日本企業を呼び込むことに執着するのか。
日本ミャンマー協会の渡邉会長に質問状を送ったが、回答はなかった。
=つづく
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