バナナと日本人

(戒厳令の島から)そして、娘は中東に行った(8)

2019年08月28日7時37分 木村 英昭

ミンダナオ島コンポステラで、私たちは地元の人たちの家に泊めてもらっていた。近所の子供たちがやってきて、よく一緒に遊んだ。子供たちの話を聞いていると、彼らのなかに母親がいない子がいることに気づいた。海外に出稼ぎに行っているのだ。

地元に職がなく、あっても低賃金のため、家政婦として故郷を離れていく。女だけではない。男も海員として世界中の船に乗っている。

スミフルの出荷工場で働いていたクレーシー・バステ(24)もその一人だった。スミフルの出荷工場で働いていたが、スミフルの低賃金では生活が難しかった。そこでスミフルをやめ、サウジアラビアに家政婦として出稼ぎに出た。

ところが、2ヶ月で戻ってきた。

彼女に何があったのか。

今回は、バナナの話から少し離れて、地元の人たちが抱える事情についてレポートする。

宝石のついた指輪

バステがフィリピンの首都マニラを出発し、サウジアラビアのジッダ市に到着したのは、昨年2018年の7月16日午後3時だった。ジッダ市は紅海に臨む中東有数の湾岸都市。首都リヤドに次ぐサウジアラビア第二の都市だ。

女性の雇い主が空港に迎えにきていた。車に乗って屋敷に向かった。そこは、4階建ての大きな屋敷だった。1階は貸家で、2階と4階には息子が住んでいた。3階がバステの仕事場になった。

到着すると、すぐに仕事が始まった。

その夕食は、雇い主が自分の母親のために料理を作った。

しかしその食事を、母親は食べなかった。すると突然、雇い主はバステに怒り始めた。バステが作った料理ではないのに。バステは右の頬を平手でたたかれた。なぜ自分が叩かれるのか、わからなかった。バステはその夜、1人で泣いた。

勤務時間は朝の8時から深夜2時。休日はなく、外出もできなかった。

給与は月1,500リヤル。2万ペソ(約4万2千円、1ペソ=2.1円)程度になる。スミフルからもらう賃金よりもはるかに高かった。

雇い主は怒るとすぐにモノを投げた。グーで頭を叩かれたり、髪を引っ張られたり。「指に宝石のついた指輪をしているので、グーで叩かれると痛いんです」

自身の体験を語ったクレーシー・バステ=2019年8月11日、フィリピン・コンポステラ・バレー州コンポステラ町

突きつけられたナイフ

家政婦を始めて1ヶ月ほど経ったある日ーー。

雇い主の息子が訪ねて来ることになっていた。雇い主は「メロンを切っておいてちょうだい」とバステに命じた。メロンを用意した。

ところが、その息子は来なかった。すると彼女はバステの胸を掴み、ナイフを突きつけてきた。

バステはなぜそんなことをされるのか、理由がまったくわからなかった。

「ちょうど孫が来ていて、止めてくれましたが、死ぬかと思った」

バステはすぐに携帯で、フィリピンのダバオ市(ミンダナオ島)にある仲介業者にメッセージを送り、このことを報告した。そして「帰りたい」と言った。

だが、その業者はバステに「雇い主もそんなことはしてないといっている」と聞き入れてくれなかった。「家には監視カメラがついている。それを見て欲しい」と訴えたが、ダメだった。

サウジアラビアの仲介業者にも連絡が回った。雇い主と一緒に業者の事務所に行き、話し合いをすることになった。バステはタガログ語で話し、雇い主の息子がスマホの自動翻訳機能を使って、アラビア語に翻訳していた。

雇い主は否定した。バステは「あなたが危害を加えないのなら、このまま続けます」といい、その日は雇い主と一緒に戻った。

バステは故郷のコンポステラ町にいる、いとこに携帯メッセージを送り、「自分の母親に事情を伝えて欲しい」と頼んだ。そのいとこの母親は、バステの母親のエルマ・バステ(50)に連絡した。

「クレーシーを助けてあげてください。ナイフを突きつけられたらしい。私にできることはあなたに知らせることです」

母親のエルマは「わかりました。助けてくれる人を見つけて、なんでもやります」といった。しかし何をどうすればいいか、エルマは考えあぐねていた。

しばらくして、知人に、ダバオ市にある「ミグランテ」の担当者を訪ねるよう勧められた。ミグランテは世界各地で働くフィリピン人の問題に取り組んでいる。支部があるダバオには往復400ペソかかる。1日分の稼ぎがなくなってしまう。エルマはどうにか金を工面してダバオに行った。

ちょうどその頃、サウジアラビアにいたバステは帰国することを決めた。雇い主の態度が一向に変わらなかったからだ。

飛行機代を、この2ヶ月の自分の稼ぎで工面し、マニラ経由でコンポステラ町に帰った。コンポステラ町に帰ったのは9月20日のことだった。

母親に帰国を知らせていなかったため、自宅での突然の再会となった。2人は抱き合い、泣いた。

バステは帰国後、もう一度スミフルのバナナ出荷工場で働き始めることができたが、10月1日に始まったストに参加して解雇された。今はスミフルとは別の小さなバナナ出荷場で働いている。ただ、毎日仕事があるわけではない。

家族の破壊

バステの話をそばで聞いていたマリリン・ベリンゲル(51)は「湾岸のアラブ人はフィリピン人を低くみているのよ」と怒った。

ベリンゲルの長女(27)もカタールに清掃の仕事で出稼ぎに出ているが、4ヶ月間送金がない。送金が止まっている理由もよくわからない。

長女とは携帯のメッセージで連絡は取れているが、それによると、現地の仲介業者によって宿舎に入れられているという。そこには、大勢のフィリピン人女性がいるそうだ。外出はできない。1週間に3日ある清掃仕事の時だけ、外出を許される。ビザに不備があったようで帰国もままならない。

不安だ。長女は「自分が帰ったら、食い扶持が減らない?」と、反対に家族のことを気遣ってくれる。

ベリンゲルもストライキに参加して解雇され収入が絶たれた。長女は2人の孫を残した。女の子(9)と男の子(7)。面倒はベリンゲルがみている。

また、同じくスミフルの出荷工場で働き、解雇されたジマール・ガバト(36)のケース。彼の妻はサウジアラビアに家政婦の仕事で行ったきりで、金が送られてくることはなかった。そして、そのまま2015年に別れた。今は12歳から9歳まで4人の子供をひとりで育てている。

地元に職があり、普通に働いて家族が暮らしていけるなら、家族のためにわざわざ海外に出稼ぎにいく必要もない。

「ミグランテ・インターナショナル」(マニラ首都圏ケソン市)の副代表、アルマン・ヘルナンド(32)によると、海外に出稼ぎに出たフィリピン人は昨年だけで230万人という。半数以上が女性で、家政婦が多い。ミグランテでは外出を禁じられたり、性的ハラスメントを受けたりするケースも多数把握している。海外で働く人たちの稼ぎは、フィリピンの国内総生産(GDP)の約10%を占めているという。

「統一労組ナマスファ」のマリリン・ベリンゲル(手前)は仕事を失った仲間の相談にも熱心に取り組む。奥は書記長のメロディーナ・ゴマノイ=2019年8月11日、フィリピン・コンポステラ・バレー州コンポステラ町

(敬称略、年齢は取材当時)

取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)、国際環境NGOFoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)

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