巨大たばこ産業の企み

新型コロナで「ビジネスチャンス」(1)

2020年05月26日13時30分 中川七海

(読むために必要な時間) 11分

喫煙者が新型コロナウイルスに感染すると、命の危険に陥り、最悪の場合は死亡するリスクが3倍になるーー。

そんな報告が、世界最先端の研究から相次いでいる。

ところが、たばこ会社はここに「ビジネスチャンス」を見出した。紙たばこから「有害性成分の量が少ない」という加熱式たばこに喫煙者を切り替えさせようという作戦だ。

だが加熱式たばこは、健康への害が少ないのだろうか?

取材していくと、そこには巨大なたばこ産業の利益に群がる「官」や「メディア」の「複合体」があった。

ワセダクロニクルは、世界中にネットワークを持つ「OCCRP(Organized Crime and Corruption Reporting Project)をはじめ世界10か国のジャーナリズム組織と共に、加熱式たばこの真相に迫る企画「Blowing Unsmoke」に参加。共同で取材し、発信していく。

「Blowing Unsmoke」 メディアチーム
OCCRP、Report・Rai 3イタリア)Kyiv Postウクライナ)Rise Romaniaルーマニア)TBIJ (イギリスIRLマケドニア)Aristegui Noticiasメキシコ)Cuestión Públicaコロンビア)Plaza Publicaグアテマラ)、Mariela Mejía (ドミニカ共和国)

「在宅時間が長い今」

新型コロナウイルスの感染拡大中に朝日新聞に掲載されたIQOSの広告

日本政府が緊急事態宣言を出してから3日目の2020年4月9日のことだ。大阪府立病院機構大阪国際がんセンターの田淵貴大医師は朝日新聞のある広告を見て驚いた。

「在宅時間が長い今、最新モデルを使おう! 商品を送料無料で迅速にお届け!」

新型コロナウイルスの感染を防ぐため、仕事などに出かけられず自宅で過ごす人が多くなっている中で「在宅時間が長い今」という文言はそんな人たちにピッタリだ。

そしてこの広告では、特定の商品名を挙げて購入を呼びかけている。

商品の名は「IQOS」(アイコス)。世界的なたばこ会社「フィリップモリス」(注1)が販売している加熱式たばこだ。加熱式たばこは、充電式の機械に短いたばこを差し込み火を使わずに加熱する。紙たばこのように、燃やすことで発生する有害性成分が少ないというのが売りだ。日本たばこ産業(JT)なども加熱式たばこを販売しているが、2018年の国内シェアではIQOSが71.8%と最も売れている。(注2)

フィリップモリスはIQOSの発売にあたり、紙たばこに比べて「9つの有害性成分の量が約90%低減」と宣伝してきた。9つの成分とは、一酸化炭素やアセトアルデヒドなど世界保健機関(WHO)が、たばこで減らすべき有害成分として取り上げているものだ。

紙たばこの喫煙者が新型コロナウイルスに感染すると、重症化しやすいという研究結果が出ている中、加熱式たばこのIQOSを勧めるのは不思議ではない。実際、新型コロナウイルスの感染が広がる中で、朝日新聞だけではなく、日本で最も発行部数が多い読売新聞を調べてもIQOSの広告が出ていた=表1。

しかし、田淵医師は「このIQOSの広告は危険だ」と語る。

紙たばこが危険なのはわかる。2020年2月28日には世界最高峰の米医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」で、喫煙者はコロナに感染すると肺炎の重症化率が1.7倍になり、命の危険に陥り最悪の場合は死亡するリスクが3倍になるという論文が出た。中国の専門家チームは2020年4月15日、「ジャーナル・オブ・メディカル・バイオロジー」で、喫煙により慢性的な肺疾患を持つ人は、コロナに感染すると重症化率が4倍になるとの報告をしている。

加熱式たばこも危険なのだろうか。

表1 IQOS新聞広告の掲載日(2020年3〜4月)

東京都医師会の警鐘

ここに、公益財団法人東京都医師会が出した「タバコQ&A 喫煙・受動喫煙の最新知識~新型タバコの問題点」がある。「加熱式タバコなら有害性が少ないのでは?」という問いに、こう答えている。

「加熱式タバコは販売されて間もないため、有害性が少ないかは分かっていません。あるタバコ会社は、自社データから『9つの有害成分の量が約90%低減した』と宣伝していますが、『有害成分の量』と『有害性』は、まったくの別物です」

「従来のタバコから発生する有害成分の量が多すぎるため、10%の量でも十分危険であり、有害性(病気の発生率や死亡率)が減少するかどうかは分からないのです」

回答の中の「あるタバコ会社」とは、Q&Aの脚注によると、フィリップモリスを指す。つまり、フィリップモリスが「9つの有害性成分の量が約90%低減」と宣伝しても、健康被害があるかどうかはまた別の話だということだ。

さらに、Q&Aでは次のように指摘している。

「9つの有害成分が90%削減されたというタバコ会社の自社データ自体が、信憑性に欠けるとの指摘も相次いでいます。いくつもの医学論文で、非燃焼性加熱式タバコの煙からも、かなりの量の有害成分が検出されたことが報告されています」

加熱式たばこは充電式。短い紙たばこをデバイスに差し込んで吸う

アンモニアの「罠」

なぜフィリップモリスは、有害性成分の量が減ったことを強調するのか。喫煙者にとって知りたいのは、健康に害があるかどうかだ。

ワセクロは、このQ&Aを作った東京都医師会タバコ対策委員会前委員長の村松弘康医師を取材した。村松医師はいった。

「そもそも、加熱式たばこは健康リスク低減のために開発されたたばこではない」

どういうことだろう? 村松医師が説明してくれた。

「喫煙者の満足度が上がり、たばこに依存してしまうのはニコチンが原因だ。そのニコチンを肺や脳へ浸透しやすくしているのは、アンモニアだ。体内への吸収率を高める効果がある」

確かに、映画「インサイダー」にもなったアメリカのたばこ会社の不正では、たばこ会社が喫煙者をニコチン中毒にするため、アンモニアを密かに加えていた。

「ただ、アンモニアは熱に弱い。約900度で燃やす紙たばこでは、アンモニアがニコチンの吸収率を高める効果が薄れる。そこで、約300度で加熱する加熱式たばこが開発された」

それならば、フィリップモリスは最初から喫煙者を騙していることにならないだろうか? 私たちが疑っていると、共同で取材をしているOCCRPから情報が入ってきた。

「イタリア当局がIQOSに関するフィリップモリスの申請を却下していた」

イタリア当局、IQOSは「健康被害の検証をしていない」

フィリップモリスは、IQOSと健康被害についての実験を行い「加熱式たばこは害が少ない」という結果を出していた。その研究内容を資料として提出し、IQOSのパッケージに、紙たばこよりも安全なことを記す許可を当局から得ようとしていた。

しかし2018年12月、イタリア当局は国立衛生研究所による検証を経て、フィリップモリスの申請を却下した。同研究所は、フィリップモリスの研究に対し、こう評価している。

「この研究は、商品を売るために設計されている。健康被害の検証をしているものではない。適切な条件下で透明性のある方法で実験すべきだ」

国立衛生研究所が検証した際の資料は今回の国際共同取材で、イタリアのテレビ局Rai 3(ライ・トゥレ)が入手した。

世界一の「お得意様」、日本

それでも、フィリップモリスは世界中でIQOSを売っている。同社によると、すでに世界で800万人を超える喫煙者がIQOSに切り替えている。

特にIQOSが売れているのが日本だ。2014年の販売開始以降、爆発的な人気が出て一時期は世界の売り上げの9割以上を日本が占めていた時期もあった。(注3)

そして今は、新型コロナウイルス感染拡大の中で、新聞社に広告を出したり、IQOSを無料で貸し出すキャンペーンを実施したりして販売攻勢をかけている。IQOSの喫煙者やその煙を吸った周囲の人が、新型コロナウイルスに感染した場合の健康被害を考えないのだろうか。

ワセクロは2020年5月1日、フィリップモリスジャパン合同会社のシェリー・ゴー社長に、新型コロナウイルス蔓延下でのIQOSによる健康被害を問う質問状を送った。

同社の広報担当から返ってきたのは以下の回答だった。こちらの質問に対して、はぐらかすような内容だった。

「喫煙と新型コロナウイルス感染症の感染・重症化の関連性等については未だ解明されていないものと認識しております」

「健康に関連するご懸念点に関しましては、今後も、WHOやFDA、厚生労働省といった信頼のおける公衆衛生当局等の提供する情報やガイダンスにてご確認いただきますようお願いいたします」

「弊社が喫煙と新型コロナウイルス感染症との関連性等について言及することは適切ではないと考えておりますので、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます」

 ワセクロは海外のニューズルームと連携し、加熱式たばこの安全性ついて、事実を引き続き掘り起こしていく。

=つづく

(注1)フィリップモリスジャパン合同会社のホームページ(https://www.pmi.com/markets/japan/ja/about-us/pmi)によると、フィリップモリスインターナショナルは世界32カ国38カ所に生産拠点を持ち、約180カ国で製品を販売している。マールボロは全世界の紙たばこで売り上げが1番。世界の紙たばこの上位15ブランドのうち、6つは同社のブランドだ。フィリップモリスジャパン合同会社は日本にある子会社。

(注2)2019年2月7日付のロイターによると、2018年の国内シェアは、フィリップモリスのIQOSが71.8%、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンのgloが20.1%、日本たばこ産業の8.1%がPloomとある。

(注3)2016年12月30日付の週刊朝日によると、フィリップモリスジャパンの担当者はIQOSについて「イタリア、スイス、ロシアなど10カ国で販売していますが、売り上げの98%が日本です」と話している。

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