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天王寺高校と竹村達也の元自宅を結ぶ道=2020年4月11日午後0時59分、大阪市阿倍野区美章園、渡辺周撮影
大阪で取材を始めた私は、大阪府警が竹村達也の失踪事件を継続して捜査していたことを知った。府警は竹村の出身校である府立天王寺高校の同級生たちに電話をかけ、竹村の情報を集めていたのだ。しかも府警は「動燃の核科学者だから北朝鮮に拉致されたかもしれない」と、竹村の事件を捜査している理由を明確に告げていた。
同級生たちは竹村について何か知っていることがあるのだろうか。私は同級生の1人の自宅を突き止め、話を聞くことができた。彼はこういった。
「それがな、同窓会で飲み会やった時に『うちにも竹村のことで警察から連絡あった』って話になってんけど、みんな竹村のことを思い出されへんねん」
私はスマホで「拉致の可能性が排除できない方々」の大阪府警のページを出し、竹村の写真を見せた。黒縁眼鏡で顔はふっくら、柔和な表情のあの写真だ。
「顔なんか忘れてしまうわ。子どもの時の顔と、大人になってからの顔は違うしな」
男性はそういった後、「ところで竹村の住所はどこや」と尋ねてきた。私は竹村が天王寺高校に通っていた時の住所を告げた。
「あれ? もしかしたら‥‥。ちょっと待っとってな」
男性はそういうと奥に行き、しばらくして名簿を携えて戻ってきた。天王寺高校ではなく、中学の同窓会名簿だった。
「あ、一緒や」
男性は名簿を開くと、3年1組のページで声をあげた。
そこには「竹村達也」の名前があった。
「僕と中学も一緒やったんやな。竹村は1組で僕は2組」
だが、やはり男性は竹村のことをはっきりとは思い出せない。失踪してから居場所が分からないので、竹村の箇所は住所が空欄になっている。
男性はいった。
「竹村が動燃に勤めてるって知ってたら会えたのになあ」
男性は竹村と同じ大阪大学工学部を卒業後、建築の仕事に進んだ。茨城県東海村の動燃には仕事でよく行ったという。
「原子力施設の建屋の屋根のことで、飛行機落ちてきても大丈夫か計算してくれとか頼まれて、東海村の動燃にはよう行っとってん。昭和40年代、僕が30代半ばくらいの時や。竹村が失踪したんは36歳の時やろ。竹村が動燃におるって知っとったら会えたのにな。しもたな」
男性は残念そうにいった。私は何か情報が入れば連絡をくれるようお願いし、男性の自宅を去った。
それからもう1人、「この人なら竹村について詳しく知っているに違いない」と思われる別の同級生のところへ向かった。
(敬称略)
=つづく
*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。
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