V字に埋まった2枚の石
スミフルの出荷工場を解雇されたルーウェル・モンダノ(43)が取材場所にやってきた。知人の自宅だ。
「日本人なら、ハイテクな探査機を持っていないだろうか?」
インタビューを始める前に、モンダノはそう家人に尋ねていた。
モンダノは「山下埋蔵金」が埋まっている場所を知っているという。
フィリピンでは「山下埋蔵金」伝説が信じられている。旧日本陸軍大将の山下奉文がフィリピンに埋めたとされる膨大な埋蔵金伝説だ。地元には、小学校の敷地から12本の金塊が掘り出された話も語られていた。掘り出したのは日本人なのだそうだ。フィリピン政府と日本政府が共同して埋蔵金を掘り起こす計画まであると口にする人もいた。
モンダノも真剣だ。
「ここから車で2時間いった山中にある。V字形に埋められた二つの石が地表に出ている。それがサインだ」
土地は自分の土地ではないが、探査機を持っていけば地権者と山分けできるはずだ、といった。
彼はなぜそんな埋蔵金話に真剣になるのか。生活が苦しいからだ。
「誕生日の人がいれば、食べられる」
モンダノは2002年からスミフルの出荷工場で働いてきた。解雇前は週3日、朝4時から夜9時まで働いていた。15日ごとに支払われる賃金はだいたい3,400ペソ(約7,100円、1ペソ=約2.1円)程度だった。
妻(40)、長女(16)と次女(12)との4人暮らし。解雇されてからは別のバナナ農園で働いているが、週に2日しか仕事がない。日払いで1日200ペソとか250ペソがせいぜいだ。スミフルで共働きだった妻も解雇され、別のバナナ出荷会社で梱包作業をしている。こちらも日に200ペソがせいぜいの稼ぎだ。
「生活は大変だよ。知り合いに誕生日の人がいれば嬉しいよ。そこに行けばお祝いの食事を食べられるから」
以前は米を15日ごとに15キロ買っていたが、今は日銭が入るごとに2キロずつの米しか買えなくなった。2人の子供には米を食べさせ、自分たちはバナナを食べている。
子供の通学費に往復で20ペソ、お小遣いで10ペソかかる。2人いるから毎日60ペソがかかることになる。妻は自宅の庭に成るジャックフルーツやアロンバティ(ムラサキツユクサ)などを料理しては近所の人に売っている。それが、子供たちの「60ペソ」になる。
「解雇されてから、山下埋蔵金が欲しい気持ちは高まった」
帰宅するモンダノの手にはパパイヤとガビ(タロイモの一種)があった。手土産にもらったものだ。「これが今夜の我が家の夕食だ」
「だから水を飲むんだ」
解雇後、苦しい生活が続くのはモンダノだけではない。
グローリア・ディランテス(61)は7人家族だ。彼女は解雇前、出荷工場でバナナにラベルはりをしていた。娘夫婦と、高校生から3歳までの孫が4人いる。娘も工場で働いていたが、一緒にストに参加したので解雇された。2人とも今は仕事がない。
クレーンのオペレーターをしている娘の夫の稼ぎが頼りだ。ダバオ市に出稼ぎに行き、週に1回戻ってくる。公共交通機関で片道3時間程度はかかる。その稼ぎで週に米を30キロ買い、しのいでいる。
「何とかやりくりしている。石鹸を1個にするとか。娘の夫は前借りをしている。高校生の孫には20ペソをお小遣いで渡し、小学生の孫の小遣いはそれぞれ10ペソだ。とても病気にはなれない」
やはり解雇されたルーウェル・ハンドゥガン(43)。
解雇前はバナナ農園でバナナの房にビニル袋をかけるのが仕事だった。妻(41)と3人の子供を抱える。以前は米を1週間で20キロ使っていたが、今は半分になった。自宅の庭に香草のマロンガイやナス、ムラサキツユクサを植え、食用にしている。
「お腹がすくよ。だから水を飲む。それで一週間しのぐんだ」
今年6月、米の作付けの仕事が見つかったが、「ストライキをした人間はだめだ」と断られた。
アリーシャ・ピイロ(54)。借金をしたが、収入がないため、希望通りの額を借りられなかったという。
「統一労組ナマスファ」のリーダーの1人、ジネット・ガリド(43)はいう。
「解雇された仲間は、今日はここ、明日はあそこと仕事を見つけて生活を続けています。しかし、仕事があっても週に2、3日です。会議や抗議活動もなかなか参加できない人も少なくありません。今は、復職を実現することが先決です」
(敬称略、年齢は取材当時)
取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)、国際環境NGO FoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)
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