マロンガイの木の下で
コンポステラはバナナが主力産業の町だ。バナナ以外での働き口は少ない。外国に出稼ぎに出て行く人たちも多い。サウジアラビアやカタールなど湾岸産油国に家政婦として働きに出ている女性もいれば、外国船の船員として働く男性もいる。そうした出稼ぎ収入がフィリピン経済を支えている。
バナナ企業「スミフル」の「統一労組ナマスファ」で書記長を務めるメロディーナ・ゴマノイ(43)は、ストライキに入って以来、収入がなくなった。当時は、出荷工場に運ばれてくるバナナの記録を取るのが仕事だった。
朝、ゴマノイは自宅のマロンガイを摘んだ。マロンガイというのは「モリンガ」の名で知られるワサビ科の香草で、フィリピン人の好物だ。日本でも最近、人気が出ている。彼女は背伸びして枝を折る。カボチャも植えている。小さな庭の菜園が生活を支えている。
「豚を飼う場所がないし、場所があっても餌を買うお金がない。食べていくのは苦しいわよ。病気にもなれない」
書き留められた就労記録
スミフルを解雇された人たちは賃金をいくらもらっていたのか。それを調べようと思ったら、ゴマノイは「ちょっと待って」といい、自宅に引き返した。しばらくすると、給与明細書や手書きの就業記録を手提げの布袋にどっさり入れて持ってきた。ゴマノイはメモ魔だった。
A4の下記にボールペンで書き込まれたメモは、日給の法定賃金給になる前の、歩合制の時代のもの。2015年9月23日から始まる。例えば、その日はこうある。
ーー朝6時に仕事を始め、深夜の12時に終わった。夜勤勤務や超過勤務の給与もあるはずなのに、368.41ペソ(約730円、1ペソ=2.1円)しかもらわなかった。不払い賃金は365.84ペソーー
ゴマノイは不払い賃金の額を足していった。翌月の10月31日まで合算した。その額、「3863.29ペソ」と、メモに赤字で書き入れた。本来受け取るはずの給与の約4分の1が不払いという計算になる。
ゴマノイたちは組合としてこの歩合制の低賃金に抗議し、やっと2017年4月24日に日給の法定賃金給に変わった。
解雇される前、ゴマノイの稼ぎは日給で365ペソ(約766円、1ペソ=2.1円)程度だった。時給ではない。365ペソは当時の法定最低賃金。これに超過勤務手当がつく。しかし毎日仕事があるわけではない。ゴマノイの出荷工場では1週間で3日程度だった。
賃金は15日ごとに支払われた。ここから保険料や社会保障費が引かれる。ゴマノイが残していた賃金明細書によると、日当制に変わった直後から約1年間でみると、15日ごとに支払われる賃金の手取りは、少ないときで3048.48ペソ、多いときで5373.79ペソ。だいたい3,700ペソ程度が平均だ。つまり、日本円でいうと、15日ごとに約8,000円を受け取る。
これは、いくら物価が安いといっても家族が暮らしていける賃金ではない。
「勉強をやめたくない」
ゴマノイは夫(47)と長女(21)、次女の4人暮らしだ。
主食の米は週に10キロは消費する。コンポステラ町の市場で売られている一般的な精米は1キロ39ペソ。そうすると、1週間で390ペソになるので、1日分の稼ぎは1週間ほどで消えることになる。
ゴマノイは「おかずがなくても米はいるわよ」。足りない時は母にもらいにいく。
今は夫の稼ぎが頼りだ。親戚のバナナ農園で週6日働いている。日給300ペソ。法定最低賃金365ペソにも届いていない。ゴマノイは出荷工場で働いていた頃、給料の前借りをすることもしばしばだった。歩合制の時代には給料の手取りがほとんどないときもあったという。借金をした。解雇されているので、その借金も返せないままだ。組合から給与は出ない。
公立の小学校に通う次女には、1年に制服が1着700ペソ、体操着も500ペソ必要だ。長女は「勉強をやめたくない」といい、コンポステラ町の大学に進学した。スミフル以外のバナナ農園で監視員の仕事をしている親戚が長女の学費を支援してくれ、教育学の学士を得た。長女は2017年から地元で教員をしている。長女の月給は約8,000ペソだという。次女の1日20ペソのお小遣いは長女が出してくれている。
生活が苦しいときは、ゴマノイはフィリピンの首都マニラ近郊にいる親戚の家に子守の仕事に出ていたこともあった。
ゴマノイもそうだが、生活するための借金をしている人は本当に多かった。贅沢品を買うための借金ではない。スミフルから支給される賃金では暮らせなかったからだ。解雇されて、その借金も返せないでいる。
例えば、別の組合員のマーシャル・ランティクセ(34)は、妻(26)、長男(7)、次男(6)、長女(1)、生後1ヶ月半の三男がいる。解雇される6ヶ月前に、社会保障制度を使い、借金をした。1万8,000ペソ。2年間の返済で月に932ペソずつ返済しないといけなかった。現在は、スミフル以外のバナナを扱う小さな農園で収穫の作業をする。週に2、3回程度しか仕事がない。歩合制で、午前6時から午後6時まで働いて200から300ペソの稼ぎにしかならない。妻もスミフルから解雇されたので、週に500ペソかかる子守を雇うことができなくなった。日用品は日々ツケで買っている。店の人はストをしているのをわかってくれているので、復職できるまで返済を待ってくれているという。
カレンダーについた丸印
ゴマノイは、交渉に応じないスミフルの対応を中央の政府機関に訴えるため、昨年2018年の11月下旬から仲間たちとマニラに行った。
さびしがる次女に、「クリスマスには帰ってくるから」といった。彼女は自宅のカレンダーの「12月25日」に鉛筆で黒く丸印をつけた。しかし、帰れなかった。今度は「新年には」。2019年の「1月1日」に丸印がついた。この約束の日にも帰られなかった。マニラ中心部でテントを張り、抗議行動を続けていた。自分の誕生日の「1月21日」に丸印をつけた。これも、約束通りにはいかなかった。
ゴマノイは最後に娘に約束した。「成績優秀者のメダルを取ったら、終業式に家族であなたをエスコートするわ」
4月2日の終業式。彼女は約束を果たした。成績の上位10位以内の生徒に送られるメダルを首にかけた。赤いリボンで結ばれ、プラスチックでできた直径6センチの自慢のメダルだ。
しかしゴマノイは次女の手を取ってエスコートしてあげることはできなかった。ゴマノイは自宅に戻ったのは終業式の16日後、4月18日だった。
(敬称略、年齢は取材当時)
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