バナナ会社「スミフル」の労働者で、「統一労組ナマスファ」の組合員だった、ダニーボーイ・バウティスタ(当時33)が射殺された45日後の2018年12月15日、今度はナマスファ委員長、ポール・ジョン・ディゾン(25)の自宅が放火され、全焼した。
この全焼事件に至る二つの火災を追ったーー。
撒かれたガソリンと8発の銃弾
まず一つ目の火災。それは2018年11月29日にあった。ストライキに入ったから約2ヶ月後の火災だった。
ディゾンの自宅と同じ敷地には、前委員長のヴィセンテ・バリオス(56)の自宅もあり、組合事務所もあった。
深夜2時頃、バリオスは自宅で寝ていたが、「火事だ、火事だ!」と叫ぶ声で目が覚めた。ディゾンの父親の声だった。
飛び出すと、道路側にある委員長のディゾンの家から火が出ていた。
ナマスファがストに入って以降、バリオスの自宅は組合の仲間たちが集まる拠点の一つになっていた。
敷地にあった水くみ場の水をバケツで汲み上げ、全員で消火に当たった。火はすぐに消し止められたが、強いガソリンのにおいがした。
委員長のディゾンはマニラに行って不在だったが、彼の自宅には家族ら8人がいた。
けが人は出なかったが、その翌日、バリオスたちは委員長宅で寝ずの見張りをした。
深夜の12時頃。男2人のバイクが委員長の自宅近くで止まったのが窓から見えた。背の高い男で、2人ともライフルのような銃を持っていた。バイクを降りた男たちが、委員長宅に近づいた。銃口を家のほうに向け、「俺たちはNPAだ!」と叫んだ。NPAは「新人民軍」と呼ばれている共産主義者の武装集団だが、そうでないことは明らかだった。
危険を感じ、すぐ後ろにあるバリオスの自宅に逃げ込んだ。すると、「パン、パン、パンッ」と銃声が響いた。
男たちが去った後を確認すると、8発の薬きょうが落ちていた。
「ここにいたら危ない」
そう感じたバリオスは12月1日、自宅を出ることにした。別の場所に暮らす家族の自宅に身を寄せた。
そして、二つ目の火災が起きた。
深夜の電話
自宅を出て2週間後の12月15日深夜、バリオスの妻の携帯が鳴った。妻の携帯を受け取ると、自宅の近所の人からだった。「あなたの家が焼けている!」
まんじりともできずに夜を過ごし、朝6時頃に自宅に行ってみた。
自分の自宅だけではない。同じ敷地内にあった委員長のディゾンの自宅と組合事務所も焼けていた。バリオスが現場に到着したときには、焼け跡からはまだ煙が出ていた。最初の火災や銃撃があって以降、みんな別の場所に移っていた。無事だった。
バリオスによると、この日は組合事務所で会議が予定されていた。多くの組合メンバーがこの場所に集まる予定だったという。
「情報が漏れたのでしょう。会議の予定された日を狙ってやられたに違いない」
コンポステラ町の警察署は取材に対して、「単なるアクシデント」だといい、放火の疑いを否定した。
「何か起きたら、スミフルの責任だからな」
組合員に対する嫌がらせは今も続いている。
スミフルとの交渉があった2019年8月6日、統一労組ナマスファの副委員長、エリザ・ディアヨン(34)は交渉出席のため、スミフルの管理事務所がある敷地に入ろうとした。そのとき、門のところで2人の男たちを見つけた。1人はオートバイに腰掛けていた。
「あいつらだ!」
副委員長のディアヨンは、男たちがスミフルが雇ったグンズ(傭兵)だと確信した。
ディアヨンは「あいつら」の顔を覚えていた。
それは昨年2018年9月21日のことだった。
バイクに乗った3人の男が昼の1時頃にディアヨンの隣に暮らす両親の自宅を訪ねてきた。そのうちの2人が「あいつら」だった。
そのとき、ディアヨンは、両親宅の隣にある自宅で寝ていた。
両親の自宅には、自分の妻(34)と11歳の息子と7歳の娘もいた。
男たちは、両親宅のすぐ側にあるジャックフルーツの木を日陰にして涼んでいる両親に、ディアヨンの居場所を執拗に尋ねた。
両親は「息子はここにはいない」とごまかした。
「お前の息子はなんであんなに頭が固いんだ。なんで組合リーダーを辞めない? 頭が固すぎる。バタリオン(国軍の駐留所)(*1)に連れて行かないといけない」
しかし、男たちは30分しても帰らない。
父(60)が「あなたたちのやっていることが正しいのなら、村長となんで話さないんだ」といった。男の1人は「村長では話にならない」。
「(ディアヨンの)バイクがそこにあるじゃないか。バイクがあるんだからいるんだろ?」。男たちはディアヨンのバイクの写真をスマホで撮った。「バイクがあるのに、いないというのは信じられない」
父は「ずっと置いているんだ。今はいないよ」といった。
父は買い物に行くふりをしてその場を離れた。ディアヨンの自宅のドアをノックした。
「3人の男たちがお前のことを探している。逃げろ」
ディアヨンはすぐに自宅を出た。そのとき、3人の顔が見えた。1人はマスクをしていた。残り2人が「あいつら」だった。
ディアヨンは家の裏にある、水枯れした水路を伝って、いとこのところに逃げた。
ディアヨンはこの日を境に、自宅にあまり帰らないようにした。ーー
「あいつら」の顔を覚えていたディアヨンは、8月6日にスミフルの事務所であった交渉が終わった直後にスミフル側に通告した。通告した相手は、交渉相手だったスミフルの広報担当者のエリック・トゥボだった。
「あの男たちを辞めさせないで、組合員に何かあったら、スミフルの責任だからな!」
私たちがコンポステラ町内の民家でディアヨンとのインタビューを終えたあと、彼はマスクをし、頭にストールを巻き、バイクで帰っていった。そのすぐ後を、仲間の組合員がバイクでついていく。ディアヨンを警護するためだった。
彼らを見送った組合書記長のメロディーナ・ゴマノイ(43)はいった。
「彼は、狙われているからね」
(敬称略、年齢は取材当時)
取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)、国際環境NGO FoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)
〈脚注〉
*1 コンポステラ町があるコンポステラ・バレー州は国軍の第66歩兵連隊が管轄している。
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