東大病院からマスコミ各社に対する回答書が出た2019年1月半ば、東大病院の循環器専門医から、ワセダクロニクルに連絡があった。「話をしたい」という。
「今回の医療事故に関する病院の説明は、支離滅裂で話になりません。患者の命や死を、あまりにも軽視している」
この医師は、東大病院カテーテル死「隠蔽」事件で、死亡した41歳男性の治療を担当した循環器内科(小室一成教授)に所属している。心臓疾患や治療についての専門的な知識に加え、組織の内部事情にも詳しい。
東大病院は、内部告発者への「厳正な対応」をホームページで公言し、社会に有益な情報提供までも封じ込めようとしている。だが循環器専門医は、病院がマスコミ各社に送った「回答書」を見て驚き、口をつぐんではいられなくなったのだといった。しかも回答書は「無責任だ」という。東大病院の広報担当部署であるパブリック・リレーションセンターから送られているが、文責者の名前もないからだ。
東大病院はこの回答書で、ワセダクロニクルが多くの医師に取材してまとめた一連の記事を「事実と大きくかけはなれた、偏った内容が多い」と批判した。そして、男性に最新の心臓カテーテル治療(マイトラクリップ治療)を施すことにした判断は正しかったと強調している。
循環器専門医はこの内容に危機感を持ったという。
「事実とかけはなれているのは回答書の方です。病院も循環器内科も反省しておらず、責任から逃げることにだけ必死になっている。このような体質のままでは新たな被害者が出てしまう」
私たちの取材に応じた循環器専門医と共に、回答書を検証することにした。
心臓移植の実績を誇らしげに記載 / マイトラクリップの症例数にはふれず
回答書はA4用紙8枚に及ぶ。この中で東大病院は、重い心臓疾患の治療実績を誇っている。
「当院はわが国で11施設しか存在しない心臓移植施設のひとつであるばかりでなく、心臓移植の累計症例数は国内で2位、昨年の心臓移植件数は全国1 位であり、(当該患者は心臓移植の適応とはなりませんでしたが)当該患者のような重症心不全の診療について、十分な実績を有しております」
取材に応じた循環器専門医も「東大病院が心臓移植で日本を代表する医療機関なのは間違いありません。難しい症例が多いので、検査部などの技術も高い」と認める。
だが、患者の男性が受けたマイトラクリップ治療の実績は、過去5例しかなかった。先行する他の病院に差を付けられていた。そうした事実は、回答書には記されていない。
「見た目」は「臨床ではよくある」
私たちはこれまでの取材で、男性の心臓の状態はマイトラクリップ治療の対象とならないほど悪化していた事実をつかみ、記事で指摘した。
これに対して回答書は、治療は可能な状態だったと強調している。この認識の違いはどこから生まれるのか。詳しくみていこう。
東大病院の検査部が、マイトラクリップ治療の直前に行った心エコー検査(心臓超音波検査)では、「治療不可」を意味する厳しい数値が出ていた。
ところが、循環器内科を中心とする治療チームは、この赤信号を無視した。代わりに、前の病院が以前に測定した「治療はギリギリ可能」な数値を引っ張り出し、担当医が心エコー画像の「見た目」でこの数値を肯定して、マイトラクリップ治療に突き進んだ。
このような「見た目」本位の対応を、回答書は「臨床の場ではよくあること」と断言しているのだ。
この説明に循環器専門医は驚いたという。
「最新の心エコー検査の数値を無視して、見た目の判断を優先することなどありません。見た目の判断が行われるのは、患者の容体が急変して一刻を争い、心エコー画像を解析する時間もないときに限られます。この男性の場合は、解析する時間が十分にある。そんなときには見た目の判断など用いません。そんなことをする専門医は皆無です」
別の病院の循環器外科医もこう言い切る。
「見た目を重視することなどありません。そんなことをしたら、医療はサイエンスではなくなってしまう」
東大病院の検査値は「計測誤差」として無視
回答書は、自院での心エコー検査の数値を無視した理由を、次のように述べている。
「計測者によって大きく異なること、またたとえ同じ計測者であってもそのたびに計測値が異なるなど、計測値に一定の揺らぎが生じ得るもの」
「(検査毎の)数字のみを絶対視すべきでないことが学術的にも知られています」
要するに、心エコー検査の数値は一定せず、東大病院の厳しい数値は計測誤差だというのだ。だが計測誤差というなら、それは前の病院の心エコー検査でもありうることではないか。
重い心臓疾患の診療で、東大病院は「日本一」を自認している。それなのになぜ、このケースでは自院の数値をことさら疑い、前の病院の数値と「見た目」を一方的に信じたのだろうか。その説明は回答書にはない。
東大病院の循環器専門医はいう。
「心エコー検査の精度に疑いがあるのなら、MRI(磁気共鳴画像)検査などを追加するのが常識です。MRI検査は点滴を続けながらでもできる。しかし追加せず、最新の検査値を、他院の古い検査値と『見た目』で覆すというありえないことを行った。厳しい数値が出ると不都合だったのではないですか」
では何が不都合だったのだろうか。
「心エコー画像を見た目で判断したのは、マイトラクリップ治療を東大病院で増やすため、対象となりそうな患者を別の病院から集めてくる役割を担っていた人です」
そのような立場の医師に、精密な検査機器を上回る客観的な判断ができるのだろうか。
カルテ記載でも「カテコラミン依存ではない」と病院
回答書は、私たちが指摘した「カテコラミン依存」にもふれている。カテコラミンとは強心薬のことで、死亡した男性には、ノルアドレナリンとドブタミンという二つの強心薬の注射薬が投与されていた。
カテコラミンを使わないと心臓の機能を保てない状態をカテコラミン依存と呼ぶ。患者の男性は明らかに依存状態にあった。
東大病院の医師が作成した男性のカルテの随所にこう記載されている。
「導入可能な心不全薬物治療を行うも、近年心不全入院を繰り返し、ほぼカテコラミン依存状態となっている」
「カテコラミン使用している」
「もともとカテコラミン依存の低心機能の方」――
カテコラミン依存の状態にあると、マイトラクリップ治療は保険適用外となり、原則的に行えない。カテコラミン依存の患者は心臓の状態が著しく悪く、マイトラクリップ治療を行っても回復を期待できないばかりか、より悪化させる危険があるためだ。
ところがこの回答書で、東大病院は男性がカテコラミン依存ではなかったと断言し、次のように説明した。
「強心薬依存の明確な定義は存在しませんが、一般的には生命維持のために強心薬の投与を中止または減量できない状態と考えられています。当該患者のように、強心薬の投与を中止または減量できるものの、手術の安全性を高めるために強心薬をあえて投与するという状態は、強心薬依存ではありません」
では、カルテに明記されている「カテコラミン依存」という判断はどうなるのか。
「そんなふうに考える医者はいません」
この回答を東大病院の循環器専門医は「医師が書いたとは思えないほど稚拙な内容」とみる。
「男性は、前の病院にいた時からカテコラミン依存の状態でした。この治療のために、あえてカテコラミンを使い始めたのではありません」
東大病院の男性のカルテには、「カテコラミン離脱」を目的として、マイトラクリップ治療を行うと書いてある。そもそもカテコラミン依存であれば、この治療は行えないのだが、東大病院は、この治療が成功すればカテコラミンを止められると考えていたようなのだ。
循環器専門医はいう。
「カテコラミン依存の重症患者を、マイトラクリップ治療で一時的にでもカテコラミンから離脱させれば、学会での症例報告や論文の絶好のネタになると考えていたのでしょう」
また回答書は、カテコラミン依存の一般的な定義として「投与を中止または減量できない状態」と書いている。循環器専門医はこの解釈を「全くのごまかしです」と語る。
「依存は止めたくても止められない状態をいいます。減量の可否は関係ありません。覚せい剤などもそうですが、例え少量でも、止められなければ依存なのです。この回答書で病院は、男性は減量ができたかもしれないので依存ではない、と勝手な定義ではぐらかしたいのでしょう」
回答書を見た都内の内科医も、「減量」できれば依存ではないという定義について、こう語る。
「そんなふうに考える医者はいません」
実は東大病院は、男性のマイトラクリップ治療について、危険性が「著しく高い」と認識していた。回答書で認めている。だが、治療は実行された。
男性や家族は、この治療についてどう考えていたのだろうか。高いリスクについての丁寧な説明は行われたのだろうか。次回はそれを検証する。
=つづく
関係者へのインタビューは以下の動画からご覧いただけます。
【動画】東大病院の循環器内科のトップ、小室一成教授へのインタビュー
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