子どもたちから「ポパイ」と呼ばれた小松島学園の指導官、三宅光一が、写真を見ながら突然「ああ、この子だ」といった(*1)。写真の少女は、運動会で、肩まである髪の毛をなびかせて走っていた。
「ある日ね、この子が部屋で泣いていたんだ」
◆
「食事の時も出てこない。何日間も出てこないで泣いている。お前どうした、何があったんだって聞いたんだ」
「そしたら、『もうお嫁さんに行けない』っていう。『子どもが産めない身体にされたんだ』って」
「小松島を出たら、嫁に行くんだってしょっちゅういっていた子だった。それが……。ほんとうにかわいそうだった」
三宅のところに来ては「ポパイ、こっちゃ来い!」と声をかけてじゃれつく活発な少女だった。学園の中でも三宅のことを最も慕っていた。
泣いていたのは、彼女だけではない。
三宅は男子棟の指導官だったので、女子が不妊手術を受けたと知るのはいつも後だった。
手術をされた子は、様子でわかった。
部屋から出てこない。ご飯も食べずに、じっとしている。
「ああ、あの子もやられたか……」
三宅にはどうすることもできなかった。他の先生から、手術のことを聞くこともあった。
ただ、職員会議の話題には上がらなかったという。
一体、誰が、何のために手術をしているのか。
◆
あるとき三宅は、各地域の福祉事務所職員が学園に出入りしていることに気づいた。福祉事務所は県の組織で、子どもたちを小松島学園に送り込んだ。
彼らは、子どもたちの様子を心配して見に来ているのではなかった。親の「同意」を得て、手術を進めるために学園に来ていたのだ。三宅は、女子棟の指導官からそう聞いた。
手術が決まると、子どもたちの身の回りの世話をしていた学園の女性職員が少女たちを病院に連れて行った。
小松島学園を「おとぎの国」と形容したのは河北新報だった(*2)。「おとぎの国」を運営する宮城県精神薄弱児福祉協会は、設立の際の活動趣意書で「優生手術の徹底」を掲げた。
小松島学園を開園した後、活動趣意書の通りに実行し始めたのだ。
◆
三宅は今でも、部屋の片隅で膝を抱えて泣く女の子の姿が目に浮かぶ。
「誰がこんな法律を作ったんだ、子どもの気持ちを考えているのか」
そう思った。しかし三宅は、自分のことを「ポパイ」と呼んで慕う女の子たちを、手術から守ることはできなかった。
「私ら、どうしようもなくってねぇ」
彼は、何度もそう繰り返した。
飯塚淳子と寝食を共にする少女が手術をされた。そんな小松島学園を、淳子のふるさとから訪れる人物がいた。
(敬称略)
[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれていますが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用しました。もし、あなたの大切な人が知らない間に子どもを産めない身体にさせられたら、どうしますか? 特集「強制不妊」の記事一覧はこちらです。
=つづく
*1 三宅光一への取材、2017年10月26日11時20分から、仙台市内で。
*2 河北新報1960年4月8日付朝刊。なお河北新報社会長の一力次郎は「優生手術の徹底」を掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていた。ワセダクロニクルは河北新報社社長の一力雅彦宛に、当時会長だった一力次郎が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送ったが、2018年3月1日午後3時の回答期限を過ぎても回答はなかった。ワセダクロニクルは、同日の午後4時34分と同53分、午後5時1分に、回答不達の確認を求めるため、同社に電話し、担当者にメールをした。担当者から同日の午後5時27分にメールが届き、「回答しないという対応を取らせていただきます」との回答を得た。ワセダクロニクルは、回答しない理由などをメールで照会したが、2ヶ月近く経った2018年4月20日午前5時現在、いまだに回答はない。河北新報社は、創業家出身の当時の会長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた団体の顧問を務めていたことについては口を閉ざす一方で、国などに対しては批判をしている。河北新報社は2018年3月6日に社説「強制不妊 救済の動き/スピード感を持って対応を」(2018年3月6日取得、http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20180306_01.html)を掲載、「国はこれまで被害者から謝罪と補償を求められても、『当時は合法だった』との根拠を盾に背を向けてきた。国連女子差別撤廃委員会から補償勧告を受けても、過ちに全く向き合ってこなかった」「政府や国会、自治体は負の歴史に真摯に向き合い、スピード感を持って救済に取り組んでほしい」と記述した。ワセダクロニクルでは引き続き、「負の歴史に真摯に向き合」うのかどうか、河北新報社に見解を求めていく。
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