ワセクロの五感

バレンシアのトマト、サマルカンドの高い壁(22)

2020年09月15日6時38分 佐野誠

 

NHKのBSがウズベキスタンについてのドキュメンタリーを放送していた。テーマは歴史的建造物周辺の開発問題。ウズベキスタンは中央アジアに位置し、シルクロードの要衝として栄えた歴史を持つ。古都サマルカンドなどに残されたイスラム教のモスクや神学校、歴史的偉人を祀る廟は青を基調としたタイルでデザインされ、それはそれは美しい。

ウズベキスタンは今、それら歴史遺産を資源に観光立国を目指している。ところが、外国人観光客向けに計画された大規模な宿泊・遊興施設の建設が、街の景観を損なうとしてユネスコが懸念を示しているというのだ。ユネスコは、歴史遺産と一体となった街の景観も含めてサマルカンドを世界遺産に指定しているから、計画が進むと最悪の場合、世界遺産の登録が抹消されることになる。サマルカンドでは、すでに古い住宅街が取り壊され開放的な遊歩道や公園に整備されたところがあり、取り壊されないまでも、高い壁を作って住宅街と歴史的建造物を隔てている所がいくつもある。住民の昔ながらの生活スタイルを国が「貧相」と恥じ、なるべく外国人観光客の目に触れないようにしているのだ。地元住民の中にはその壁を「ベルリンの壁」と呼ぶ人もいるという。

そういうことだったのか、とテレビを見ながら思った。数年前、私は友人とウズベキスタンを旅行し、サマルカンドの有名な廟も訪れた。思い返せば、確かにその廟の周辺は、駐車場や広場が幹線道路の方向につながっているほかは、周囲に高さ3~4メートルほどの壁が巡らされていた。私たちは小さな扉から壁を通り抜け古い住宅街の風情を楽しんだが、その時は壁について思うことは特になかった。せいぜい防犯用の壁くらいにしか思わなかった。

それで一つ思い出したことがある。私が二十代の頃、スペインのバレンシアを訪れた時のことだ。空港から市内へ向かうリムジンバスに乗り込もうとすると、そのステップにトマトが一つ転がっていたのだ。私の頬は思わずゆるんだ。なぜこんなところに?リムジンバスは市内を循環して空港に戻るのだとして、市民はこの立派な風体のバスを日常的な買い物にも利用するのか?まさか……。瞬間的にそこまで巡った考えは、次々と乗り込んでくる人に押されて中断し、トマトは放置された。ただ、その場違いなトマトは、海外に不慣れで警戒心の塊となっていた私の緊張を一気に解きほぐした。この街は大丈夫だと、なぜか思うことができた。トマトは降車時にはなくなっていた。

見知らぬ異国で旅人が心を開くきっかけ。それは私の場合、ほんの些細なことでも、その土地に暮らす人の温もりを感じられる何かであるらしい。ウズベキスタンについてのドキュメンタリーでは、観光客が地元住民の暮らしに近い形で宿泊できるよう、自宅をゲストハウスに改装した人の話が紹介されていた。彼は壁の存在を恥じていた。ウズベキスタンの人々は決して不寛容なわけではない。それどころか、私と友人は滞在中に、地元の方のお宅に招かれご馳走を振る舞われるという、驚くようなもてなしを受けた。相手にしてみれば、私たちはたまたま出会って二言三言交わしただけの外国人だ。「客人は父より大切に」という教えがこの土地にあると知ったのはだいぶ後になってのことだが、そもそも富が流通し権力者たちの争いが絶えなかったシルクロードにあって、庶民が平和な暮らしを維持するには、よそ者をもてなすこと、多様性を認めることが手っ取り早い方法だったというのは想像に難くない。それが現代にも受け継がれているのではないか。そう思わせるような、本当に何のてらいもない親密な時間を過ごさせてもらった。

ドキュメンタリーは最後に、国が開発計画を見直し、大規模施設は郊外に建設するという変更案をユネスコに提出したと伝えていた。この分なら「ベルリンの壁」も近い将来消えるのではないか。そして、観光名所を出たあたりで、私たちの足元にトマトが転がり出てくる日もそう遠くないのではないか。そんなことを思った。

広報 佐野誠

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