ワセクロの五感

としまえん(19)

2020年08月25日6時30分 渡辺周

東京・練馬の遊園地「としまえん」が、8月いっぱいで閉園する。大正15年の開業というから、94年間続いたことになる。

大学1年生の時、としまえんのすぐ近くのアパートに住んでいた。風呂なし六畳一間で家賃2万9千円。としまえんの花火大会で揺れるような木造アパートだ。閉園を知り、懐かしくなってとしまえん界隈に足を伸ばした。

街並みは変わっていた。私が住んでいたアパートは、高級マンションに建て替わっている。一人暮らしに彩りをと思い、柄にもなくパンジーの鉢植えを買った花屋さんはなかった。銭湯もなくなっている。

だが、一つだけ変わっていない場所があった。私がよく銭湯帰りに通っていた居酒屋だ。その居酒屋は、元はラーメンの屋台で、繁盛して店舗を構えるようになった。メニューはラーメンとおでんだけだったと思う。

マスターは故・志村けんさんに似ていて、お腹がポッコリ出ている。口数は少ないが、こちらがたまに元気がないと「どしたの」と北関東か東北のイントネーションで聞いてくる。何で悩んでいたかは覚えてないが、私がボソリと愚痴ると「よくあることだよ」と返してくる。それ以上の会話はかわさない。

あれから私は大学を卒業し、記者生活の中で島根の松江、兵庫の西宮、静岡の浜松、名古屋と転々とした。東京の中でも、狛江、葛西、赤羽と移り住んでいる。どの街にも馴染みの飲み屋さんができて、いろんな人と出会ったり別れたりしてきた。職場もテレビ局から新聞社、そしてワセクロと変遷している。

一方のマスターはその間ずっと、この店を守り続けてきた。根を張り静かにあり続ける樹木のようで、私は店の赤ちょうちんを見つめながら感じ入った。ただ、もし違う人がマスターだったらどうしようとも思った。緊張しながら店に入った。

ホッとした。マスターは当時と同じ人物だ。見た目もほとんど変わっていない。志村けんさんそっくりだし、お腹の出方まで一緒だ。

メニューは変わっていた。おでんはやめ、メニューが増えていた。冷やし坦々麺や餃子といった中華から、マグロの青ネギあえといった和食まで揃えている。「酒を飲む客が多くなってきたから合わせないとね」とマスター。私はホッピーを飲みながら「変わらないためには変わるってことだな」と感心した。そういえばホッピーは当時は置いておらず、ビールだけだった。

当時と変わっていないことはもう一つあった。マスターの北関東か東北なまりのイントネーションだ。私が「ところでマスターってどこの出身なんですか」と聞くと、マスターはいった。

「福島のいわきだよ」

いわきなら、東日本大震災後の取材で長期間滞在したことがある。転々とする中で、マスターのふるさとを訪れていたことが嬉しくなった。グラスのホッピーを飲み干し、おかわりを注文した。

編集長 渡辺周

ワセクロの五感一覧へ