ワセクロの五感

不平等の処方箋(14)

2020年07月07日6時04分 佐野誠

ある雑誌で「不平等を証明する実験」というものが紹介されていた。まず100人に100円ずつ配る。その中から2人がランダムに選ばれサイコロを振り、負けた方は相手に10円を渡さねばならない。これを何百回となく繰り返すと、どういうわけか一握りの金持ちと、その他大勢の貧しい人々に分かれてしまうというのだ。

この話を読んで私は、自分が金持ちではないにしても、経済的な困窮を経験せずに生きてこられた点では、まったく運が良かったのだと思い知った。と同時に、平等とは、みんなが平等思想を持って生きていれば自ずと実現するものではなく、人為的に矯正しなければ実現できないものだということを知った。

ところが現実はどうだ。経済格差は自己責任とされ、コロナ対応の給付金が必要なのに行き渡らない人もいる中で、政権に近い者にはカネが融通されるようなニュースまである。不平等を矯正するどころか、わざわざ増幅してはいないか。

これは「グレートジャーニー」で知られる探検家で医師の関野吉晴さんがエチオピアを訪れた時の話だが、先住民のコエグ族の村は、誰かが腹を満たす一方で誰かが腹をすかせているようなことがない社会だったという。食料や物が平等に行き渡っているだけではない。知恵や技術についても出し惜しみしないことが社会通念となっていて、例えば、関野さんが医師として診察や治療を施しても、誰も「ありがとう」とすら言わないのだという。専門知識や専門技術を持っているのなら、人のために役立てるのが当たり前。当たり前すぎて、感謝さえも必要としない社会なのだ。

ここに不平等をただす処方箋があるように思う。自分が恵まれていると感じたら行動せねば、という思いが私の中で強くなる。

※余談ですが、本稿にあわせてこの写真を撮っていて10円玉のデザインが平等院だったことに改めて気付きました。皮肉ですね。ただ、仏教寺院の名前になっている通り、平等とは宗教哲学的な問いでもあるのです。

ボランティア 佐野誠

ワセクロの五感一覧へ