最近、盆栽を買った。部屋の模様替えでもしない限り変わらない我が家。在宅時間が長くなり、暮らしに変化がほしかったのが理由なのか、自分でもよくわからない。
絵画でもとも思ったが、せっかくなら四季の変化を感じられるものがよかった。とは言え、本格的に盆栽を育てる覚悟もなく、手ごろで小さい「姫リンゴ」の鉢を選んだ。単に可愛らしい実が気に入ったからなのだが、盆栽を思いついたのは祖父の影響かもしれない。
祖父はサツキの盆栽を好んでいた。鉢を庭にたくさん並べ、一日の大半をそこで過ごしていた。痩せて、頭も薄くなり、ひょろひょろとした姿からは想像もできない力強さで、重たい鉢を動かし、消毒液のタンクを背負って庭中を回っていた姿が思い浮かぶ。
昔、一緒に買い物に行く途中、道ばたに咲いているツツジを見て「おじいちゃんの家にもあるよね」と聞いたら、「これはツツジ。あれはサツキ。全然違う」とだけ答えた。寡黙なひとだった。
傍らで鉢の植え替えを私が見ているときでも、黙々と作業をしていた。「お風呂沸いたよ」と声をかけても、「ご飯の準備できたよ」と呼んでも、「おっ」の一言。その口調を真似て、私が「おっ」と言っても、ニヤッと笑うだけである。
テレビをつけながら食事をしていても会話がない。時代劇が好きで、東野英治郎の水戸黄門、大川橋蔵の銭形平次、中村梅之助の伝七捕物帳を一緒に見ても、お茶を片手にニコニコと笑みを浮かべる。どこか飄々とした穏やかな祖父の姿があるだけだ。
物静かな祖父だったが、唯一、大きな声で叫んだことがある。余命少なく、病床で意識もほとんどなかったが、突然体を起こしたかと思うと私の両手首をつかみ、「ごめんな。一人でごめんな」。
叫びというより、唸りだったかもしれない。最期に心のうちを絞り出したかのような。私は意味が分からず、怖さで後ずさりした。祖母がなだめ、ベッドに寝かしつけたことを今も覚えている。
祖父の葬儀も終わり、少し落ち着いたころに祖母が語ってくれた。
「おじいちゃんの兄弟は、みんな戦争で死んじゃってね。おじいちゃんだけ戦争にいかず、長生きしたからね。自分だけが生き残ったことをずっと悲しんでいた。お前のことを自分のお兄さんの誰かと思って、あんなことしたのだろうね」
今年の春も歩道のツツジを見て、そんなことを思い出した。「おはよう」も「ありがとう」も「またな」も全部「おっ」の一言で済ませた祖父。どこか懐かしく、温かく、心地のいい響きだった。
姫リンゴを売ってくれた知人から、メッセージが届いた。
「きょうすけさん、姫リンゴは自分の花粉で実がなりません。他の木から受粉させないと。来年も実が見たいなら、もう一本買ってくださいね。毎度あり!」
花屋、おぬしも悪よのぉ。
ワセダクロニクルCEO 荒金教介
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