コロナ世界最前線

マスクの常識を覆す172の研究総まとめ(4)

2020年06月24日11時49分 谷本哲也

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今回のパンデミックでは、医学の常識がいろいろ変わりつつあります。その代表例はマスクです。意外かもしれませんが医療関係者の間では、新型コロナの予防のためにマスクをしても医療現場以外では大して役に立たないと、当初は考えられていました。実際、世界保健機関(WHO)は、健康な人が公共の場でマスクをすることは、これまで推奨していませんでした。マスクを使うのは、インフルエンザや新型コロナなどの感染症にかかっている人や、その周りにいる人程度で十分だとしていたのです。

ところが6月5日、WHOはマスクに対する方針を大転換しました。新型コロナウイルスが流行している地域では、交通機関やお店の中など公共の場でのマスク着用を推奨したのです。特に1メートル以上の社会的距離をとるのが難しい場面で勧めています。医療用ではない布製のマスクでいいので、健康な一般の方でも着用をした方がいい、となったのです。

またイギリスでは、6月15日以降、公共の交通機関ではマスク着用が義務付けられました。このような方針は日本人にはそこまで違和感はないかもしれませんが、マスクをする習慣がなかった国では非常に大きな変化となります。

今回は、なぜマスクに関する医療界の常識が覆ったのか、その根拠の一つになる論文についてご紹介します。

16か国26000人のデータ

論文は、英医学誌ランセット(the Lancet)のオンライン版に「Physical distancing, face masks, and eye protection to prevent person-to-person transmission of SARS-CoV-2 and COVID-19: a systematic review and meta-analysis」のタイトルで6月1日に掲載されました。

カナダの名門マックマスター大学などの研究者らが、系統的レビューとメタ解析という、信頼性が高いとされる方法を用い分析しています。これは、過去に発表された数多くの論文をもれなく集めてきて、分析しようとする事柄についてどういう結果が出ているのか、統計的に解析する研究手法です。

この研究では、マスク、眼の防護、社会的距離に関係がありそうな約1万8千件の論文がまず選び出されました。新型コロナ関連の論文だけでなく、新型コロナに似た仲間のウイルス、重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)の研究結果も対象に含んでいます。

そして最終的に、172件の研究が系統的レビューの対象として選定されました。患者さんの数としては、合計すると約2万6千人、6大陸16か国にわたる広範囲のデータになります。なかなかの労作と言えます。

マスクや社会的距離が新型コロナの予防に有効だ、ということは、論文でわざわざ言われなくても、皆さんも何となく感じておられると思います。

ただし、医療現場ではなんとなく効果ありそうな気がしても、実際に数字で分析してみると、実は役に立たなかった、という予防法や治療法がよくあります。

例えば、日本で開発されたアビガンという薬は、新型コロナに効くはず、と期待されていますが、なかなか正式に認められません。その理由は、効きそうな雰囲気はあるけれども、数字でしっかりと効果を証明した結果が出せていないことにあります。そこで今回の論文のように、科学的な証明、エビデンスを積み重ねることが重要視されているのです。

マスクにより85%、眼の防護で78%感染リスクが減少

まずマスクについての結果を見てみましょう。

計算の結果、マスクには感染リスクを減少させる効果が認められ、その値は85%となりました。結構大きな数値です。

さらに使用される場面でも違いがあり、医療現場で使った場合は感染のリスクの比率が約3分の1、一般の場所では約半分となる効果が出ました。

マスクの種類でも違いがありました。感染予防で医療用によく用いられる、微粒子を通しにくい「N95マスク」はやはり効果が高く、96%もありました。

新型コロナの患者さんの治療にあたる医療現場では、院内感染を防ぐ意味でも、可能な限りN95マスクを使った方がよいことになります。その他のマスクになると67%に低下します。

マスクは一層の薄いものよりも、医療用で使われるような多層のものの方がよい、ということも示されました。

今回の研究結果として、眼の防護の感染予防効果も算出されたことは重要な点です。ゴーグルやフェイスシールドといった眼の防護対策をすることで、感染リスクは78%も減少すると算出されました。

日本の店舗などでも、フェイスシールドをして接客したり、透明のビニールシートをカウンターに設置したりする光景はもう日常的になりました。目をこすったり鼻をほじったりなど、やたらに顔を触らないことも大切ですが、こうした眼の防護策は有効と言えるようです。

1メートルの社会的距離では82%の減少

さらに研究で明らかになったのは、社会的距離での感染リスクの減少です。医療現場でも一般の場所でも、1メートルの社会的距離を開けることで、82%の感染リスク減少の効果が認められました。

社会的距離は、1メートル開けるごとに2倍以上効果が出るようです。そのため、1メートルに限らずもっと距離を開けてもよく、3メートルくらいまでは距離を開ければ開けるほど、効果が出ていました。社会的距離とろう、ということは日本でもすでに広く認知されています。ソーシャル・ディスタンスというカタカナも流行語みたいになっていますね。

こうしたデータの裏付けを見ると、やはり当面の間は以前のような大規模な集会やイベントを密集して行うのは難しいように思います。遊園地やテーマパーク、展覧会に大勢が集まらないよう入場制限をしたり、コンサートや映画館、スポーツ観戦の座席間隔を開けたり、といった社会的距離をとる工夫を続けるしかないのでしょう。

医療用マスクは高齢者や持病をお持ちの方にも

このようにマスクのような初歩的なアイテムに対する認識ですら、専門家であるはずの医療関係者の間で大きく変化してきました。新型コロナ関連では、「感染症学会の専門医の意見でなければ信用できない」みたいな言説をメディアでよく見かけます。

しかし、今回のパンデミックのような場合は過去の常識が通用せず、WHOなどの専門家でも言うことが変わってきています。意見がどのようなデータに基づいたものなのか、その根拠のところがますます重要になるように思います。

さて、WHOの最新の推奨は日本ではそれほど知られていないようなので、最後にもう少しご紹介しておこうと思います。医療用マスクを誰が使うべきか、という点についてです。

当然ながら、医療従事者は使用を推奨されていますし、軽症でも新型コロナ感染の症状の可能性がある人は、布マスクではなく医療用マスクを使った方がいいとされています。また、新型コロナにかかった方を自宅で介護する場合も、医療用マスクにすることが勧められています。

また、注目すべきは60歳以上の高齢者、年齢に関係なく持病をお持ちの方への方針もWHOでは示していることです。これらの方々が1メートル以上の社会的距離が取れず、新型コロナの流行地域にいる場合は、医療用マスクの着用を推奨しています。なぜなら、新型コロナにかかった場合、重症になりやすいことが分かっているからです。

マスク不足の状況では、布マスクでもなんでもいいから、とりあえずみんな同じものでも着けておこう、というざっくりとした政策でも仕方がなかったかもしれません。しかし、マスクの供給が充足してきた今後は、もう少し精緻な政策が必要になってきます。新型コロナ感染の流行状況に応じ、ご高齢の方はもちろん、がん患者さんや免疫抑制剤を使っている方など、リスクの高い方々を守る方法について、もっと目を向けなければなりません。

 

  • 谷本哲也(たにもと・てつや)
    1972年、石川県生まれ、鳥取県育ち。鳥取県立米子東高等学校卒。内科医。1997年、九州大学医学部卒。ナビタスクリニック川崎、ときわ会常磐病院、社会福祉法人尚徳福祉会にて診療。霞クリニック・株式会社エムネスを通じて遠隔診療にも携わる。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所に所属し、海外の医学専門誌への論文発表にも取り組んでいる。ワセダクロニクルの「製薬マネーと医師」プロジェクトにも参加。著書に、「知ってはいけない薬のカラクリ」(小学館)、「生涯論文!忙しい臨床医でもできる英語論文アクセプトまでの道のり」(金芳堂)、「エキスパートが疑問に答えるワクチン診療入門」(金芳堂)がある。
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