ダイキン工業は20年前からPFOAの危険性を知っていた。2002年、ダイキンの取引先である米国の「3M」が、人体への悪影響を理由にPFOAの製造から撤退したからだ。
だがダイキン社長の井上礼之(現・取締役会長、86歳)は、「フッ素化学事業で世界ナンバーワンになる」と掲げた。
その矢先、ダイキンの工場近くを流れる淀川支流で、世界最高レベルのPFOA濃度が検出される。
ダイキン工業淀川製作所近くの道路沿いに立つ看板
日本にもいた「ロバート・ビロット」
世界に先駆けて、PFOAの公害が明るみに出たのは米国だ。立役者は、弁護士のロバート・ビロット。デュポンや3MなどPFOAを製造する大企業による公害の隠蔽を暴いていった。公開中の映画『ダーク・ウォーターズ』では主人公のモデルになった。
1998年、祖母の知人であるウェストヴァージニア州の牧場主ウィルバー・テナントが、ビロットのもとを訪れたのがきっかけだった。その牧場主は、デュポンの工場からの廃棄物のせいで牛が190頭死んだとビロットに訴えた。動画も撮っていて、牛がのたうち回って死んでいく姿が映っていた。ビロットはTansaの取材に、この時のことを語る。
「私は、ウィルバー・テナントの声に耳を傾けました。彼は、ウェストヴァージニアで起きたことを世界中の人々に知ってもらい、同じ目に遭う人が出ないよう常に願っていました」
弁護士のビロットを牧場主のテナントが訪れた2年後、日本でもPFOAの危険性を探り始める人物がいた。京都大学の小泉昭夫(69)だ。
小泉は兵庫県尼崎市出身。東北大学医学部を卒業後に米国へ留学し、帰国してからは秋田大学医学部で衛生学を研究した。1994年には、硫酸製造工場での高熱を伴う「製錬所病」の原因が、水銀中毒であることを解明。英国の有力医学専門誌『ランセット』に論文を投稿した。労働安全衛生法の改正にまでつなげた。
その小泉が2000年、秋田大から、日本初の公衆衛生大学院を作った京大に教授として転出した時のことだ。世界で最も権威のある学術誌の一つ『サイエンス』が、1981年掲載のPFOAとPFOSに関する論文に問題があったと公表した。
論文では、PFOAとPFOSは天然由来のものであると結論づけていた。しかしその結果は、問題のある測定方法に基づいていた。
サイエンスの公表を目にした小泉は直感した。
「製錬所病の時と同じだと感じました。『問題ない』と結論づけている調査結果があれば、人々も安全神話のように信じる。だが、きちんと測定してみなければわからない。日本でもPFOAを調査すべきだと思いました」
小泉の研究チームは2002年、PFOAを含む有機フッ素化合物の調査に本格的に乗り出した。
世界の1割のPFOAをダイキン淀川製作所が排出
チーム小泉は当初、学生も含めた6人で動き始めた。2004年、北海道から九州まで全国80カ所の河川のPFOA濃度を調べた結果を公表した。全地点でPFOAを検出したものの、多くは1リットルあたり数ナノグラム(ナノは10億分の1)だった。
問題は、阪神地区だった。
淀川(大阪市東淀川区) 140ナノグラム
猪名川(兵庫県尼崎市) 456ナノグラム
小泉が驚愕したのは、淀川の支流である安威川(あいがわ)だ。
安威川 6万7000ナノグラム〜8万7000ナノグラム
この6万7000ナノグラムは、世界最高レベルの数値だ。環境省が現在定めている目標値は、1リットルあたり50ナノグラム。それに照らせば1340倍に当たる。8万7000ナノグラムは1740倍だ。
一体、何が原因なのか。さらに調査を進めると、汚染源は安威川近くで稼働するダイキン淀川製作所であることが判明した。
淀川製作所からの排水は下水処理場「安威川広域下水処理センター」に流れこむ。その下水処理場から、連日18キログラム、年間0.5トンのPFOAが排出されていることを確認した。
当時、世界中で放出されていたPFOAは年間5トン。つまり、世界の1割のPFOAが淀川製作所によって排出されていたことになる。
大阪市の水道水、仙台市の300倍の濃度
チーム小泉は、ヒトの血液中のPFOA濃度も調べた。対象は兵庫県西宮市、大阪市、京都市、岐阜県高山市、仙台市など全国10カ所の200人。
結果は、京阪神の住民に濃度が高く出た。他地域は3ナノグラムだったのに対して、次のような数値だった。
大阪市 14.5ナノグラム
京都市 10.5ナノグラム
西宮市 11.9ナノグラム
なぜ、京阪神で高濃度のPFOAが検出されてしまうのか。理由は水道水と推定された。
最も住民の血中濃度が高い大阪市の水道水には、40ナノグラムのPFOAが含まれていたのだ。これは、仙台市の水道水の値の300倍だ。大阪市は主に淀川から集水した水を使っている。
一連の調査結果から、チーム小泉は次のように結論づけた。
・PFOAが工場から排出され、下水処理場に行く
・下水処理場からPFOAを含んだ水が河川に合流する
・河川の水を使った水道水を住民が飲む
・住民がPFOAを体内に吸収する
京都大学の小泉昭夫名誉教授=2021年12月2日、京都にある社会健康医学福祉研究所にて(撮影/中川七海)
尿検査と血液検査の違いで分かった「永遠の化学物質」の恐ろしさ
小泉が調査結果に関し、懸念したことがもう一つあった。それは、尿中と血中とのPFOA濃度の差についてだった。小泉が当時を振り返る。
「尿中のPFOA濃度を測ったときは、非常に驚きました。なぜか低いんです。一方で、血中濃度は高い。つまり、PFOAは尿として排出されず、体内に残ってしまっているということです」
PFOAは分解されにくく、蓄積されやすい性質をもつ。「フォーエバー・ケミカル」(永遠の化学物質)と呼ばれるくらいだ。その恐ろしさを、小泉は尿検査と血液検査の結果の違いから認識したのだ。小泉は調査結果をまとめた論文で次のように書いた。
「これだけ汚染された水を、100万人以上が飲むと推定されている。この事実に対処しなければならない。リスク評価のために、PFOA製造工場の労働者や住民の調査が必要だ」
小泉は、この事実を大阪府立公衆衛生研究所(現・地方独立行政法人大阪健康安全基盤研究所)の職員に伝えた。
大阪府はどのような行動をとったのか。次回、報じる。
=つづく
(敬称略)
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