双葉病院 置き去り事件

「寝たきりは一部」のはずが(3)

2021年03月10日15時00分 中川七海

双葉病院の前に放置されたまま=2012年3月18日、飛田晋秀撮影 (C)飛田晋秀

3月14日午前0時、自衛隊第12旅団の部隊が、取り残された227人を避難させるため、郡山駐屯地から双葉病院に向かった。放射線防護のタイベックスーツがようやく部隊に届いたのだ。

部隊は12日午後3時にも双葉病院に向かったが、途中で福島第一原発1号機が水素爆発を起こした。タイベックスーツがなかったため、いったん郡山に引き上げていた。

第12旅団の部隊が未明に双葉病院に到着するころ、福島県庁の災害対策本部に電話が入った。首相官邸の危機管理センターからだ。

「原発が危ない。病院等に残っている人々を明け方までに避難させるように」

患者はみなやせ細り(14日午前4時~午前10時30分)

第12旅団の司令部から救援部隊が受けた命令は、以下だ。

「双葉病院とドーヴィル双葉は最優先で救助に当たれ。救助した患者は相双保健所へ搬送せよ」

「一部、寝たきりの患者がいるとの情報がある。搬送には気を付けろ」

救助の対象は227人。隊長は大型バス3台、マイクロバス6台を編成した。

「車両9両あれば300名くらいは搬送可能だし、一部の寝たきり患者についてはベンチシートを使用すれば良いだろう。双葉病院と相双保健所の間を多くても2往復すれば、全員の救助が可能だろう」

14日午前4時、第12旅団の部隊は双葉病院に到着する。

隊長はまず、ドーヴィル双葉に向かった。入所者が集められたホールの扉を開けて、仰天した。ホール一面にベッドが敷き詰められて、何十人もの高齢者が横たわっている。汚物のような悪臭が鼻をついた。

隊長は入所者に「大丈夫ですか」と声をかけた。入所者たちは「自衛隊さんが来てくれたよ」と声をあげた。

隊長はドーヴィルの患者を部下に任せ、500メートル離れた双葉病院へ向かった。

大熊町には放射能に汚染された土が入ったフレコンバッグが並ぶ=2021年3月2日、渡辺周撮影 (C)Tansa

隊長は、院長の鈴木市郎と事務室で話した。

鈴木はいう。

「寝たきりの患者ばかりです。末期がんの患者もいる」

隊長はびっくりした。司令部から命令を受けた時の情報は「一部寝たきりの患者がいる」だったからだ。

さらに鈴木はいった。

「患者を座らせた姿勢では運ばないでください。寝かせた状態で運んでください」

寝たきり患者の場合、バスのシートをいくつか使って横たえる必要がある。

座席に座るなら、大型バス3台とマイクロバス6台あれば300人は運べると見積もっていた。しかし寝たきりの患者では、双葉病院とドーヴィルの計227人は運べないかもしれない。

ともかく、患者をバスに乗せる作業が始まった。

双葉病院には、双葉警察署の警察官たち十数名もタイベックスーツを着て到着していた。自衛隊員は警察官と協力してバスへの搬入を始めた。

警察官らは、持参したタイベックスーツを患者に着せようとした。バスに乗せる際に外気に触れて、放射線被曝することを心配したからだ。それを見た隊長は、自衛隊の化学部隊にいた経験を踏まえてこういった。

「病棟からバスに乗せるまで外気に触れる時間はわずかです。タイベックスーツを着せていては救助が遅れ、患者の体力が消耗する。とにかくバスに早く乗せた方が良いと思います」

隊長の意見に、院長の鈴木も賛成した。鈴木は「若いのにずいぶんしっかりした隊長だな」という印象を持った。隊長の階級は3尉。大卒入隊なら20歳代半ばだ。

病棟1階にいる患者から搬送した。鈴木が患者の点滴を外し、隊員と警察官たちがストレッチャーで病院の出入り口まで運ぶ。そこから隊員が患者を抱えてバスに乗せていった。患者はみなやせ細っていて、隊員1人で患者1人を難なく運べた。

「どうしてストップなんですか」(14日午前10時30分〜午前11時1分)

大熊町に残る避難場所のサイン=2014年3月27日、飛田晋秀撮影 (C)飛田晋秀

バスでは、補助席を使って患者を寝かせた。院長の鈴木から寝たきりの患者は座らせないよう言われていたからだ。1列で5人が座れるところに、寝かせると2人だ。バスの座席はどんどん埋まっていく。

「このままでは全員を救助できない」。そう考えた隊長は、第12旅団司令部に連絡することにした。

だが双葉病院付近は無線が全く通じない。車で5分のオフサイトセンターへ行き、衛星電話を借りた。オフサイトセンターは原発事故の際に現場で事故対応に当たる役割があり、経産副大臣を本部長に東電や県の職員らが詰めている。

「双葉病院の患者とドーヴィル双葉の入所者はほぼ全てが寝たきりでした。スタッフも少なく、人も車も足りない。衛生の部隊が必要です」

司令部に連絡した後、隊長はすぐに双葉病院に戻って救助を続けた。

午前10時30分、9台のバスはついに満杯になった。ドーヴィル双葉の98人は全員バスに乗せられたが、双葉病院の患者92人と、すでに死亡した3人の遺体は残った。隊長は叫んだ。

「ここでストップだ」

だが鈴木は、自衛隊のバスが満杯になっていることを知らない。隊長に抗議した。

「どうしてストップなんですか。まだ患者はたくさんいるんですよ」。

隊長はいった。

「もうこれ以上バスに乗せきれないのです。また、すぐに救助に来ます」

第12旅団の司令部は隊長に「寝たきりの患者は一部」と誤った情報を伝えた。そのことが作戦計画を大きく狂わせた。

隊長は9台のバスを相双保健所に出発させた後、自分は病院に残った。最初のバスは午前7時に出発していた。そろそろ双葉病院に戻ってくる頃だろうと考えた。第12旅団司令部に次のように連絡を入れた。

「警察と共同で、また救助に当たります。相双保健所との間でピストン輸送を行います。最初のバスが戻ってもいい時間ですが、まだ戻って来ていないので、ピストン輸送にもかなり時間がかかります。衛生部隊などの応援をお願いします」

その約15分後の午前11時1分、「ドン」という突き上げるような爆発音が聞こえた。隊長が東の方向を見ると、福島第一原発から白煙が上がっていた。

=つづく

(敬称略、肩書きは当時)

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