大学生のころ、友人に誘われて店舗の立ち上げを手伝ったことがある。陶芸家のようこさんという女性が、札幌で食器屋をオープンすると聞いたからだった。
札幌の狸小路商店街で待ち合わせた。大阪土産の「551の豚まん」を持って行ったのに、「よう来てくれた〜」と関西弁で迎えられ、ずっこけた。小柄で、ビビッドカラーの洋服に大きなピアスが映えて、お洒落に見えた。
「とりあえず、腹ごしらえや!」と緊張している私を連れだし、銀座ライオンでご馳走してくれた。私はビールが飲めない。明るいうちからビールをグイッと飲む姿は、当時の私にはとてもカッコ良かった。お店を出ると、「よっしゃ。働いてもらうで!」とまた私の手を引いた。
その日は指示されるがままペンキ塗りをした。次の日も作業の遅れを取り戻そうと手伝った。それから毎日、友人がいなくても一人で手伝いに行くようになった。朝から晩まで熱中した。芸大出身のようこさん。感性を頼りに作業を進めているようにも見えたが、「デザインにはな、緻密な計算と理論の応用が詰め込まれてるんやで。意外と勉強も大事やから、いっぱい覚えていき」と教えてくれた。もっとデザインを学びたくなり、ようこさんのノートをこっそり見たこともある。より良いデザインを生み出すためのメモや、手書きの図でびっしりと埋まっていた。感性の裏には、技術を身につける努力があることを知った。いま思えば、わざと見える位置においてくれていたのだろう。
ようこさんは、なんでも教えてくれた。ペンキの塗り方から、人が興味を示しやすい色や配置のバランス。さらには外国を旅した話、20代のころ聴いていた音楽――。そして、広い世界を見に行けと何度も言った。知識と経験を追体験しているようでワクワクした。
そんなある日、「ななみちゃん、オープンしたら店長になってくれへん?」と突然告げられた。本店が九州にあるため、札幌店が出来上がったら戻る予定なのだという。大阪に帰るつもりでいた私は驚いた。手伝っていた他のメンバーは全員札幌に住んでいるからだ。なぜ私だったのか、いまでも理由はよくわからない。迷ったが、面白そうだと考え直して引き受けてみた。ゼロからの店舗立ち上げはもちろん、デザインとは何かを学んだり、何より多くの先輩や仲間に出会えたりした半年の札幌生活は、私の人生でも貴重な経験だといまでも思う。
先日、ようこさんから久しぶりに連絡がきた。「元気?こっちは今、新しいアトリエを作ってるで〜」「いいですね、また行きますね!」「またっていつや!いつでもおいで!」「ほな、来週行きます!」「えっほんまに来るの?最高やね!」ということで、九州でも札幌でもない、新しいアトリエへ向かった。
再びペンキを塗ることになった。ローラーで壁にW字を描き、それから全体を塗る。細かいところはハケに持ち替えた。ようこさんは拠点を変え、私は記者の卵になった。昔と同じように、二人で手を動かしながら会話する。
「ななみちゃん、記者っちゅうのはな、表現者や。アーティストやな。自分を表現できる人は、羨ましがられたり、妬まれたりもする。でもな、どっちの声も気にせんでいい。感性と技術で突き抜けろ〜!」
「はーい!」ペンキ塗りに集中しながら答えた。
リポーター 中川七海
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