東京大学病院で心臓のカテーテル治療を受けた後、41歳で死亡した齊藤聡さん。2011年に心臓の難病「拡張型心筋症」との診断を受けた。
調理師の資格を持つ齊藤さんは、診断が出てからも、東京の飲食店などで働き続けた。料理の腕もよかったが、人柄もよかった。そこを見込まれたのだろう、2016年には、再び店を持てることになった。
和食料理店「地酒びすとろ らくしん」。同年2月2日、東京都世田谷区梅丘にオープンした。
店は賑わった。齊藤さんは店内の様子をSNSにしばしば投稿している。常連客と談笑する姿や、試作を重ねた人気メニューの写真などが多い。そうした写真からは、齊藤さんの張り切りぶりが伝わってくる。
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同年春、近所の羽根木公園での花見会を企画した。参加募集の手書きポスターには「日本酒と本気の料理 準備します」と書いた。4月3日、親しい客たちが集い、満開の桜の下で昼過ぎから盛り上がった。
それから3ヶ月後、7月7日の七夕。インターネット上の短冊に願い事を書き込んだ。
「絶望が希望に変わりますように」
この時、難病の診断から既に5年が経過していた。病状は深刻さを増す一方だった。
絶えず押し寄せる絶望感。それを振り払うかのように仕事に打ち込んだのだろう。
齊藤さんは前に進もうとしていた。しかし、病魔の前進も止まらなかった。
七夕の短冊に願い事を書き込んで間もなく、国立国際医療研究センター病院に緊急入院となる。「らくしん」のフェイスブックの更新は2016年7月11日で止まった。以後、齊藤さんは入院の頻度や期間が増して、店を続けられなくなった。わずか半年ほどの営業だった。
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約2年後の2018年6月24日。齊藤さんはこの日も、国立国際医療研究センター病院の病室にいた。早朝、スマホを手にした齊藤さんは、SNSを使って友人に胸中を明かした。東大病院でカテーテル治療を受ける約3か月前のことだ。
「今の病気になって10年近くたつのかな?最初はブクブク太っていくなぁ~って酒のみ過ぎかなぁ~ってくらいに思ってて。さすがに仕事にならんなぁと日曜日に休日診療の町医者に行ったら、今すぐ大きな病院行きなさいって言われて、即入院」
「何も知らないから心不全と言う名の症状を伝えられスゴク怖くて死ぬのかなって思ってたら、救急から病棟移ったら入院計画書に『拡張型心筋症』って書いてあって、何も知らなかった僕は少し安心したんだ。でもね、今の時代は便利なもので、先生が恐る恐る説明に来る前にスマホで調べることが出来ちゃったんだ」
「50キロくらい入院中に体重落ちて仕事復帰したけど、また無理がたたって仕事中に意識無くして倒れてたっけ?あの時、君が居てくれて本当助かったよ。気づいたら頬叩かれてて、目覚めてよかった。その後、無理しないような生活で体調は落ち着いていたんだけど、やっぱ病気の進行は進むもんで…」
「入院と退院を繰り返すようになって、色々な人達に迷惑かけるようになって、急に今日から入院ですって言われて私のかわりにやらざるを得なかった先輩。入社したばかりで私が教えてたのに急に1人やらざるを得なかった君。信じて言葉聞いて協力してくれたスタッフさん達。皆に迷惑かけた」
「そんな僕のとこにもね、最近、色んな人達から連絡がくるんだ。地元の友人後輩、大昔に雇われ店長してた頃のバイトちゃん達、三茶近辺の人達、梅ヶ丘近辺の人達、常盤台近辺逃げたアイツは何してる!!ほんの少しいただけの派遣先の人達、歌舞伎町の頃の人達。ほんと、うれしくてね、リハの先生と話しながら泣きそうになっちゃったよ」
支えてくれた人たちへの感謝の思いが増すばかりだった。だからこそ、もっと生きたいと願った。
結びにこう記した。
「とにかくね、どうしたって普通の人達よりは老い先の人生短いんだろうけど、体調自体はある程度戻っていくのでね、また元気になったら皆に会いに行こうと思ってる」
「ありがとうって」
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